菜根譚33、一を識って二を知らず(劉邦の建てた漢はなぜ長持ちしたのか)






 「書物を読んでもそこに聖賢の心を見なければ、鉛槧の傭である(えんざんのよう、文字の奴隷)。
 官にいて人民を愛さなければ、衣冠の盗である(いかんのとう、給料泥棒)。
 学問を講義して実践を尊ぶことがなければ、口頭の禅である(こうとうのぜん、口先だけ)。
 業を立てて後世に残すべき徳を思わなければ、眼前の花である(目先を喜ばすだけのこと)」


 ・とある行為をしても次のレベルに進まなければ意味がない、あるいは逆効果であるといいたげな感じがします。「一を識って二を知らず」という感じですかね。
 中国でも腐敗とか汚職なんてのはかなりあったようです。賄賂を贈るのが当然だとか、事業より接待とか。そうしたことの根強さがあったがために、そうでないものの方が輝きを増していた節はある。


 曹操とかは下っ端だった頃に当然見逃すだろう見逃して当然であるはずの高位の者を平然と逮捕したりしてましたからね。そうした片鱗(あるいは功名心)のようなものを若いうちから覗かせていた節があります。こうした背景を思えば一を知っても腐敗や汚職に堕すよりは二を志す方が健全だというようには思えます。
 でも実際にはそうした環境があり組織自体がそうするのが当然というような風潮の中で、それを志すのは大変難しい。それが母体となるから新しい風潮を作るのか、あるいは有用な者を腐らすのかについては難しいものがあるといえるでしょう。


 しかし曹操も興した勢力は結局司馬氏に併呑され、一族は皆殺しとなっている。かと思えばその司馬氏だって西晋を建てた後はあっさりと滅んでいるわけです。曹操も司馬懿もその優秀さの先に一体何を見出すのかにちょっと弱いところがあるように思えます。それは例えば始皇帝も同じことで、中華統一を成し遂げたと喜びに浸ってはいましたが永遠の命を欲して水銀を飲み死期を早め、あるいは後継ぎを決めておかなかったがために大乱を引き起こし、秦はあっさりと滅んでしまうわけです。三人とも優秀だし非凡なんですが、でもじゃあその優秀さの先に何が残ったのか。


 ・秦は混乱に陥り、その時に陳勝と呉広(ちんしょう、ごこう)が山賊から反乱を起こして勢力を作っていきます。
 いわゆる陳勝呉広の乱ですね。

 この陳勝は「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」(えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや)という言葉を残した人としても有名です。「小さなスズメに大きな鳥の気持ちがわかろうか」というような意味です。

 この陳勝呉広の乱も鎮圧されていきますが、その後に劉邦や項羽といった人材が頭角を表していきます。この二人が争ったのが楚漢の戦いなわけですが、結局は劉邦の漢が勝ちを収めます。
 項羽は20代後半には中国全土をその武勇でまとめあげたという、いってみれば英雄の中の英雄だと思います。武勇に秀でた人は歴史上数多くいるのですが、陣頭に立って突撃して敵軍を壊滅させ続け中国を統一したような人は項羽くらいしかいないと思います。でも結局項羽も韓信と戦いあっさりと滅んだわけです。


 ・韓信を率いている劉邦はではどれだけ優秀かといえば、優秀さからほど遠い人なんですよね(笑)
 酒が好きだし女好き、酔ったら宮中でもとりあえず剣を抜き始めるような粗野な人だったわけで。漢の歴史でも、劉邦が一般人の地位から身を興したことはすごいと書き残したい一方で、要するにそれは反乱を推奨するようなものになりかねないからとどうしても控えめにならざるを得ない。でもこうした人が項羽と戦い項羽を滅ぼしたわけです。



 優秀かと言えば優秀だとは言い難い。
 でも結局はこの民から身を興して皇帝になるという偉業を成し遂げたのが劉邦であるわけです。
 これを歴史書なら「劉邦は優秀な人を信頼して任せて使いこなしたからこそ覇業を為し遂げた」と表現されていますが、果たしてそうなんだろうかと。確かにそれは項羽を打ち破るまでは正しい。韓信、張良、蕭何(しょうか)など優秀な人材を疑うことなく使っている。でも中国統一から先は功臣の粛清に奔走し、猜疑心に悩まされ、結局心の平穏を保つことができなかったわけです。あまりにすごい韓信の活躍をまざまざと見せつけられ、誰を見ても真っ先に反乱を恐れるようになってしまった。
 あまりにも手放しで仲間を信頼してきた反動が、胸をえぐられるかもしれないという圧倒的な恐怖となった。功臣を次から次へと誅殺していき、かつての栄華はどこへやら、仲間も誅殺の不安に怯え続けることとなります。



 ・そろそろまとめようと思うのですが(笑)、群雄割拠の状態であれば統一を求めますし、統一後は誅殺に怯え続けまるでかつての戦乱期が恋しいとばかりになる。
 劉邦も統一後は功臣の誅殺に奔走し、そして身内の劉氏を次から次へと王に立てます。
 これによって前漢200年、後漢200年の長きに渡って漢は栄えることとなります。
 これに比べれば秦の始皇帝は15年で滅びましたし、曹操の死後できた魏は50年ももっていません。司馬炎の建てた西晋も50年ほどでまた滅んでいます。


 なぜ劉邦の建てた漢がここまで栄えたのか。
 そこまで特に深く考えなかったことが良かったのか、それとも身内の誅殺に次ぐ誅殺が良かったのか。
 逆になぜ圧倒的な力を誇っていた秦が15年ほどしかもたなかったのか。
 その後出てきた曹操や司馬懿はこのことを踏まえて王朝を長持ちさせたかったはずなのになぜあっさりと滅んでしまったのか。
 こうしたことというのはまだまだ考察されるだけの余地があるように思います。


 今日はこれでおしまいとします。






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