菜根譚31、施しと利益(郭嘉の説いた十勝十敗、対処と解決)






 「恩を施す者がその内に己を見ず、外に人を見なければ斗粟(とぞく、わずかな施し)も万鐘(ばんしょう、莫大な施し)に値する。
 物によって利益を得る者が己の施しについて計算し、相手からの施しを求めるようであれば、たとえ百溢(ひゃくいつ、巨額のお金)をもらったとしても一文の功でさえも成すことが難しい」


 ・施しと利益を求めることとの違いを語っています。
 施しの観点から二つを語っていますが、今これをこうしてみてみると結構微妙だなと思いますね。確かに言おうとしていることはわからんでもないんだけれど……という感じです。


 ・たびたび引き合いに出してますが、曹操と袁紹という二人の群雄がいました。そしてその当時袁紹の方がはるかに強かったのに曹操が官渡の戦いを含む戦いで勝利し、袁紹は失意のうちに病没し、勢力は滅んでしまうということがありました。これというのは恐るべき事態で、今でいえば弱小企業が大企業を圧倒して破産に追い込むほどのインパクトがあったと思っていいと思います。普通はそんなことは起こり得ないし、その当時としても天下統一に最も近いのは袁紹だろうという見方が大勢を占めていました。


 郭嘉(かくか)という人物がおり、袁紹のところの郭図(かくと)の従兄弟か親戚か何かの縁で袁紹にまみえましたが、一度会ってこいつはいかんなと判断し辞去します。
 そして曹操のところへ行き、一目会ってこいつはただ者ではないと思い、仕官することを決意します。
 そしてその当時まだ弱小でしかない曹操にいろいろなことを説きます。
 詳しくはこちらに


 オレ袁紹に勝てるかねえと言った曹操に郭嘉が答えたものです。
 この中で最も注目に値すると思うものが(具体的にはどれかは忘れましたが)、
 「袁紹は非常に優しい男だ。
 目の前の惨状に嘆き、悲しみ、涙し、施しをすることのできる優しさがある。
 一方曹操はなぜこういう事態になってしまったんだろうと思い、ではもう二度とそういう事態が起きないためにどうすればいいかを考えることができる」
 ということを言っている一節があります。
 これというのは何かといえば、対処と解決の差だと思うんですね。
 袁紹は確かに優しいんです。そしてその目の前の惨状に心を痛めて感情移入し、涙を流し、現にお金を施せる人物です。その場面を見た人は感動するでしょうし、もらった人も感動する。
 でも、それは事態の解決ではないんです。本質的な解決ではないし、それを目指すものではない。例えば蚊に刺されたとして、ウナコーワを塗ってやるようなもの。確かにそれでかゆみはおさまるのですが、でも蚊を撲滅するとかそういう流れではないと。それは対処ではあっても解決ではないんだと。


 一方の曹操は目の前の惨状を見ていながら何もしないし立ち去るのですから、人の心はあるのか、無情ではないのかとそしられることもあるわけです。でもそうではない。曹操が見ているのは対処ではない。事態の解決なわけです。こういう人は他にももっとたくさんいる、ではそうした人をどうやったら救えるだろうかと思考を巡らせる。そういう方向性を持った人間が曹操であるわけです。
 これを一見すると、恐らく誰もが情に厚く優しいのは袁紹だと判断すると思います。でも優しさについては変わらない。ただ、それが対処として表れるのか解決として表れるのかの違いとなって表れるというだけの話です。それがこいつは優しい、こいつは優しくないといった言葉で誤解を伴って著されるにすぎない。


 ・そういうことを踏まえると、果たしてこの言葉はどこまで冷徹に見ているのかと思えてきます。言いたいことはよくわかります、でもこれを突き詰めた先に出てくるのは、袁紹礼賛でしかないわけですよ。袁紹は素晴らしかった、ならばなぜ袁紹は滅んだのかということに結びつかないのではないかと思います。確かに施しであり、対処という観点からのみ見ていればいいのであれば、これは非常に正しいと思います。でも私が思うに重要なのは対処から解決への転換、これをいかに持てるかだと思うんですね。その意味での不満足と不完全燃焼的なものを感じました。
 私もひねくれたという証拠かもしれませんね(笑)









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