菜根譚30、方と円(項羽死後の劉邦陣営の考察)






 「治世にあっては方となるべく、乱世にあっては円となるべく、叔季の世(しゅくきのよ、末世、世紀末といった感じ)に至っては方・円を併用して用いるべきだ。
 善人を歓待するにあたっては寛大で、悪人を歓待するにあたっては厳しく、普通の人を歓待するにあたってはこの寛・厳を併用すべきなのである」


 ・平和な世の中では「方」、つまり法や行い、規範やルールに厳格であれと。
 しかし乱世はそうではない。「円」、つまり柔軟に事態に対応していかなくてはならない。そうした中でルールや規範といったものがどれだけの効果があるのか。
 厳しさや順法というのは大切ですが、でもそれだけでは乱世に生きていくことはできない。
 かといって何事も柔軟に対応するというだけでは、そもそも法など不要という話になってしまうのだと。


 ・「叔季の世」というのは何かと言えば。
 「伯仲叔季(はくちゅうしゅくき)」という言葉があります。兄弟の序列を示すもので、上から伯仲叔季、長男が「伯」で、末子のことを「季」というのだと。

 伯仲叔季

 これ面白いなと思ったのが、これに正確に則ったのが孫堅の子供たちですね。
 孫策は伯符だし、
 孫堅は仲謀。
 この規則というのが伯仲叔季にきちんと従っているんだと。


 このルールは日本語でも取り入れられてますよね。
 「おじさん」のことを「叔父さん」とか「伯父さん」とか表しますが、イマイチよくわかりませんし、そもそも日本語ではこの父の兄弟ということをわざわざ表そうという意図が希薄です。一応表せないことはないですが、どちらも「おじさん」で表せますし、何か絶対に示さなくてはならない必要性が希薄だと言えます。
 一応「伯父」を「はくふ」と言って、叔父を「しゅくふ」と言えはしますが、それを使ったら使ったでさらなる混乱を招きかねないという(笑)

 まあとりあえずこの表し方は「伯仲叔季」に基づいているようだなと。
 で、父の兄を伯父さん、父の弟を叔父さんと表すのはこういうのに則っているからであり、自分の父をつまり「仲父」として見立てているらしい。
 そして「叔季」で末世とか世紀末とか言う意味合いを出してるようだぞということだけ掴んでおけばいいのかなと思います。



 ・しかし治世と乱世はわかるのですが、叔季の世とは。
 恐らく乱世とはまだ「世の中が乱れるだけの余裕がある世」ということを表しているのでしょうが、叔季の世とはその余裕すらもない世界を意味しているのでしょう。荒廃し切っており、乱れるだけの余裕もないのだと。陳勝呉広の乱の後は楚漢の攻防戦が始まりましたし、黄巾の乱の後は反董卓連合が結成されてさらに荒れたことを思えば、末世の感はあってもまだ行き着いたわけでははないと言えます。そうなると叔季の世というのが果たしてどういうものになるのかは想像が尽きません。


 ・乱世に必要なのは円であり、治世に必要なのは方であるというのはこういう感じでイメージできると思います。
 項羽と争っている時の劉邦陣営は韓信を筆頭に、彭越(ほうえつ)や英布(えいふ)といった勇猛な武将をたくさん従えていました。勇猛で無敵の項羽を前にすれば、勇猛な武将はいくらいても足りることはないと言っていいでしょう。
 ところが項羽が死に、天下が収まると真っ先に殺されたのは韓信であり、その後は彭越や英布の討伐へと変わっていくことになります。つまり作戦を立てるとか計略を練るとかいうことはもう必要ではなくなったと。さらには勇猛さも必要ではない。その気質は乱世を収めるには有用であっても、治世を治めていくには不要どころかいつ反乱を起こして国を乱すかわかったものではない。
 円を四角に切り出す際に出てくる余り部分を大量に切り落とす必要がある。これが円と方の関係だといえるでしょう。


 ・でも次から次へとその余り部分を切り取っていったわけです。次から次へと功臣を誅殺していったと。そのうちに劉邦は死に、呂氏の天下が訪れます。
 そうなると困ったのは、呂氏の専横状態をどのようにして正すか。その時はもう功臣の大半を誅殺し、忠義に厚くかつ勇猛な家臣などほとんど残っていなかったわけです。
 円も過ぎれば円満となり反乱を起こしかねないし、方も過ぎれば人材不足に陥り呂氏を野放しにすることしかできなくなる。周勃(しゅうぼつ)と陳平が組んで呂氏一族を誅殺してようやく事態は落ち着いたのですが、まあこういう流れがあったわけです。満ちれば欠けなくてはならなくなるし、欠ければ満ちなくてはならなくなる。そうした力関係があり、調整がある。そうした流れがあり、それに従って世の中が動いている。こういうことは重要なのかなと。まるで月の満ち欠けのようですが、世の中がそれと違うのはこうした力関係によって微妙なところでそのベストな塩梅(あんばい)というのを出そうと調整している。まるで自動調整機能がついているかのようだという点ですよね。
 これがいわゆる叔季の世についての話なのかどうかはまあちょっとわかりませんが。


 ・ということでまとめますが。
 項羽と対するに当たっては劉邦陣営は満ちなくてはならなかった。項羽相手にはいくらでも優秀な武将は必要だった。
 でも項羽を倒して後は欠けなくてはならなかった。優秀な人材が今度は政権を転覆させる要因となりかねなかった。そうした不安要素をてって的に取り除かねばならなかった。
 かといって欠け過ぎれば今度は荒れた朝廷を立て直すことができない。立て直すためには、忠義と勇猛さを兼ね備えた人々を必要とした。こうして方と円とを合わせたいい塩梅、そのための調整というのが項羽死後の劉邦陣営には必要だったというのを今回は取り上げました。






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