菜根譚28、善人と凶人(曹操の徐州大虐殺の考察)






 「善人は所作の安らかさについては言うまでもなく、睡眠中でさえも和気がないことがない。
 凶人は行いが狼のようであることは言うまでもなく、発する声や言葉もまた殺気を帯びている」


 ・善人に対するに悪人ではなく凶人という言い方なのが気になるところですが。
 でもそもそも古代中国の倫理や規範といったものは決して今の基準と同じだとは言い難いところがあります。
 人殺しなど日常茶飯事ですし、裏切りや詐術、略奪は横行している。それで騙されたりして殺された方が悪い。そして裏切りや人殺しは名誉となり、栄光となり、勲章となる。そういった面もあります。まあ今でも軍人などはそういった面が濃厚にあると言えますから、完全に今が無縁だとは言えないでしょう。


 ・三国時代の悪人といえば筆頭として曹操が上げられると思います。
 董卓の殺害に失敗した後、陳宮(ちんきゅう)と共に逃げ回ります。
 そして彼は親戚かなんかだった呂伯奢(りょはくしゃ)の一家に匿われますが。
 豚を殺そうとしていた一家でしたが、自分たちを殺そうとしているのだという誤解から全員を皆殺しにしますが、彼は言い放ちます。
 「私が人に背こうとも、人が我に背くことは許さん」
 これを聞いた陳宮は何という男だと彼のそばから離れていくことになります。


 ・他にも曹操の父である曹嵩(そうすう)が陶謙(とうけん)のところを通りかかったときなどは、陶謙は曹操の父ということで良かれと思って護衛をつけてやりますが、その護衛が曹嵩らを皆殺しにします。
 これで怒り狂った曹操は、徐州を攻めて徐州の人々の皆殺しをします。

 徐州大虐殺

 もともと曹操が徐州が欲しかったから、口実が欲しかったからという理由は考えられるでしょうが、それだけなら別に人々を殺す必要はない、むしろ殺さない方がよかったはずと考えると相当怒り狂っていたのは間違いないといえるでしょう。これによって後世からも曹操は悪人とみなされることになります。
 そもそも曹操の父を殺した一味が悪いのは間違いのないことでもあります。
 そして曹操が怒り心頭に達したのも親に対する「孝」の気持ちあってのものだとも考えられますし、そう怒らなくてもという話ではありますが、ともかくこれによって曹操は極悪人となってしまったと。それが孝であれそうでないものであれ、自分の一時の感情、憤りからたくさんの人を殺害したということが曹操が嫌われ疎まれる原因になってしまったのでしょう。あるいは曹嵩を殺害したのが張闓(ちょうがい)という取るに足りない人物であり、それに比べれば一国の君主として立つべき曹操が私憤から戦争を引き起こし、大虐殺を行った。つまり君主なのに大義ではなく私憤に駆られたというのが批判されるところかもしれません。


 ・大義と私憤ということでいえば、秦の時代に項梁(こうりょう)が旗揚げをして、その時范増(はんぞう)という男がやってきて項梁にアドバイスをしています。
 項梁は自らの秦に対する憤りだけで旗揚げをしてはならぬ。
 項梁は楚の項燕(こうえん)の末裔であるからこそ、秦を倒し楚を立て直すという大義名分を掲げなさい。
 そして楚の王の末裔を探し出して、その人を旗印として掲げなさいと。


 それが功を奏して、項梁の元には楚の旧臣が集まってくることになります。
 恐らくここに重要なカギがあり、大義と私憤のわきまえ、そういうものの使い分け、そこにある節度というものがわかっているということが重要な要素だったのではないかと考えられるでしょう。
 話を戻しますが、曹操が徐州での虐殺について張闓を差し置いてなぜここまで言われるのかということに関しては、その見極めがおかしい、大義と私憤の違いが分かっていないということが重要な要素として挙げられるのではないか。今と当時とで倫理や規範はいろいろ違っていますし、人殺しも横行していたような時代ですが、ただそこに関する節度というのは非常に厳しく厳格なものがあったと考えられるのではないかと思います。
 そして同時に、古代の人々がそこに関する厳しい目線を備えていたともいえるのではないかと。



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