菜根譚27、学ぶ者の精神と読書(呉下の阿蒙に非ずの話)






 「学ぶ者は精神を集中させて、ただこの一道に励むことが必要である。
 もしも徳を修めながらも功績や名誉を求めるに留まるのであれば、絶対にそれ以上の見返りはない。
 書を読みながらも吟詠や風雅に偏れば、深いところにまで至ることは叶わない」


 ・学問に努める者への注意といった感じですね。
 やるときはやる、集中してやるということが必要なんだと。
 しかしそれも詩などの方向に行ってはいけないんだと。例えば小説などのジャンルも「大説」というものがあって、それに比べての「小説」なんだと聞いたことがあります。「小説なんかに没頭していては頭が悪くなるのだ」というニュアンスが小説という言い方には微妙に含まれているわけですね。
 大説


 ・何のために学ぶのか、ということですが感性って大切だなと私は思います。これがいいという具体的な目標、具体的に描かれる像、最終的な姿というのは感性を抜いては語れない。美しさやより良い形というのが単純な良し悪しのみとなり感性的なものから外れた先で、例えば公害問題とか起きたりしているようにも思います。その意味では、功利的なものと感性的なものとは確かに単純に対立するものかもしれませんが、そうではなく相補的なものだとも言い得るものではないかと思います。
 そういう意味での磨かれた感性とか、完成を磨くための方向性というのを我々はかなり置き去りにしてきている感じは濃厚にあると思いますし、例えば自らの仕事の延長上にそういうものを見出すような仕事がなされていないことが、公害問題のみならずかなりの問題をもたらしているのではないかと思います。食中毒だの、耐震偽装だのですね。その意味では感性的なものを磨くことの重要性はもっとあっていいと思いますし、まあ率直に言えばこの菜根譚の意見には結構反対です(笑)我々はむしろ感性をもっと磨かなくてはならないし、その重要性は認識されなくてはならなかった。単なるこなすだけの仕事であり、ノルマでない、そう言える何かを我々はとうとう持ち得なかったどころか見失い、そしてとうとう見つけ出すことも難しい領域にきているのではないかと思えるためです。
 まあこんなことばかり書いてると、反菜根譚みたいになりますのでここでやめますが(笑)


 ・学問における一意専心は重要ですね。
 勉強って一体どこまで深堀りできるかが重要だと思っていますし、一旦深掘りできてさえいればそこに戻るのが容易いというような段階はあるなと思います。例えば、まとめたノートを開けば一発でその分野についてわかる、とかそういう感じですね。問題はどうやってそこまで行き着くのかですが……

 ここで自分の勉強の話でも書こうと思いましたが(笑)、まあせっかくなんで三国時代の勉強頑張った人の話でもしようと思います。


 ・呂蒙(りょもう)という人がいました。
 呂蒙

 ある日、孫権がこの呂蒙と蒋欽(しょうきん)の二人を呼び出して勉強しろと言いましたが、将軍職は忙しいし、そもそもオレたちは腕っぷしの強い武将として鳴らしてきているのだから、今さら我々に勉強など必要ありませんよーと孫権に口答えします。
 そうすると孫権は、このオレだって合間を縫って勉強してるのになんという言い草だと怒ります。
 そうして怒られた呂蒙と蒋欽は勉強を始めるのですが、呂蒙の方はメキメキと成果を出していきます。恐らくは一心不乱に勉強したのでしょう。
 そんなある日に、魯粛(ろしゅく)が近くを通りかかることがあり、あの呂蒙が最近勉強してるらしいぞ、ここはひとつからかってみようかと顔を出してみたら、もう以前の呂蒙とは全然違っていたと。
 こりゃ驚いた。
 ということでここで言ったのが
 「呉下の阿蒙に非ず(ごかのあもうにあらず)」ですね。

 「呉下の阿蒙」

 これ、呉下の阿蒙だけだと「いつまで経っても進歩しない人のこと」であり、これを否定することで「目覚ましい進歩を遂げた人」とか、そういう意味になります。
 魯粛は驚いてそう言ったのですが、これに対して呂蒙が言ったのが
「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」なのだと。


 いわゆる「男子三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」というヤツですね。
 意味は、3日も会わなければ人は変わるのだから、3日会わなければしっかりと目を見開いてよくみなさいという感じですね。


 そして呉の大都督は周瑜、魯粛ときてその次が呂蒙となります。
 呂蒙は関羽を斬り、呉にとって念願だった荊州の地を取り戻すことに成功します。いかにも孫権によって発奮されたことの効果の大きさを物語るかのようですが、では蒋欽の方は一体どうだったのかはわかりません。
 しかし孫権に期待されて勉強しろと言われ、その期待に見事応えたことが抜擢に繋がったのは間違いないでしょう。そして抜擢がなかったなら、呂蒙以外が大都督となって荊州の関羽に対する強硬策に繋がることももしかするとなかったかもしれません。
 とりあえず、言われて機会を逃すことなく勉強に生を出したこと、そして抜擢された後に学んだことを生かせた、つまり知将としての方向性をもったこと。そしてそれが荊州奪還に繋がったことは評価され、また我々の生活に活かしていいように思います。






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