「身を立てるのに人より一歩を高くして立たなくては、塵芥の中で衣を振るって払い落し、泥の中で足を洗うようなものである。これでどうしてそこから抜け出ることができようか。
この世に処するに一歩を退けていなければ、蛾が蝋燭に飛来し、羊が角をひっかけるような事態に陥ってしまう。これでどうして安楽だと言えるだろうか」
・人より抜きに出たことをしなくては泥の中で足を洗うようなものであると。綺麗にするつもりがかえって汚すような事態に陥る。
かといって人に譲る気持ちがなければ「飛んで火にいる夏の虫」であり、進んで自ら死ぬようなことになりかねない。
明らかに矛盾していますが、身を立てようと思えば他から際立って目立つようなことをしなくてはならないし、かといって際立ちすぎれば真っ先に殺される。真っ先に殺されるのであればでは一歩を退くことが重要といえるわけですが、でも退き過ぎていては一生目立つこともなく何もすることがないまま朽ちていくのみだと言えるでしょう。
これは「中庸」の精神とは結構異なるものだといえるでしょう。
中庸が「あり過ぎず、かといってなさすぎず」の範囲を示している。90点以上だと多すぎるし、かといって10点以下では少なすぎる、じゃあ赤点以上90点未満くらいがいいよね、という範囲を示していたとすればこれはそうではないと。
目立つところはしっかりと目立つ。活躍できるところはその他大勢の人の目を抜きに出るような活躍をし、かといって引くところはきっちりと引く。己の功績を主張しすぎない。よくやってくれたと言われれば、たまたまですとか周囲のサポートあってのことですと言うとか、そういう謙譲の姿勢を示す。これによって目立つけど、でも死なない、殺されることがないという状態ができる。これを言おうとしているというものではないかと思います。
・袁紹と言う人物がいました。
袁紹
この人はもしも曹操が出なかったら恐らくは中国を統一していたかもしれないと言われる、その最終力候補だったと言っても過言ではない人物だと思います。最大の問題は曹操が出たことでしたね。そういう障害が一切出なかったとしたら、順風満帆の環境下だったならば、中国を支配していた可能性も大いにあり得たでしょうが。西暦200年に官渡の戦いで曹操に敗れて衰退の一途をたどることとなりました。
一応、官渡の戦いはまだ決着がついていなかった、その翌年の倉亭の戦いにおいて決着が着いたと言う話もありますので、こちらで紹介だけしたいと思います。
官渡の戦い
倉亭の戦い
・さて。
袁紹配下は沮授、田豊、郭図、陳琳、審配、許攸(そじゅ、でんぽう、かくと、ちんりん、しんぱい、きょゆう)などの文官に恵まれていたのが特徴だと言えるでしょう。
足し算で言えば1+1+1+1+1+1=6、となりそうなものですが、ここではそうはならなかった。足を引っ張ったり讒言したり蹴落としたりと様々な工作が行われたために、結局有用な意見の大半は水に流されてしまった。相手の意見が採用されればこっちの地位が危うくなりかねないということで、その意見が有用であるかないかではなく政敵との力関係によって意見が大きく左右されることになるわけです。
あいつが輝けばオレが輝けなくなる。
あいつが死ねばオレの地位は安泰。
こうして、一致団結して曹操に当たるということは全くなく曹操は弱小なんだから当然勝つ、勝った後に力関係はどうなっているか、そのためには誰を蹴落とさなくてはならないかでしのぎを削っていたのがこの袁紹陣営だといえます。
一度こうなると功績を立てることが己の身を危うくしかねなくするといえます。迂闊に功績を立てると、政敵だけでなく昨日まで味方だったヤツまで讒言する側に回りかねない。もちろん失敗しても責任を取って死ぬしかないでしょうから、どう転んでも袁紹軍では生き残ることが難しいことになります。
こうして続々と曹操へと降伏する者が出始めます。
許攸が寝返ったため、袁紹軍の食糧庫の場所がばれてしまい、曹操によって焼き討ちをされ袁紹は長期戦が不可能となります。
さらには武将である張郃(ちょうこう)なども寝返ります。
こうして曹操に比べて圧倒的に大勢であったはずの袁紹は瓦解していき、滅亡していくことになります。
・冒頭の言葉に戻りますが、
「身を立てるのに人より一歩を高くして立たなくては、塵芥の中で衣を振るって払い落し、泥の中で足を洗うようなものである。これでどうしてそこから抜け出ることができようか。
この世に処するに一歩を退けていなければ、蛾が蝋燭に飛来し、羊が角をひっかけるような事態に陥ってしまう。これでどうして安楽だと言えるだろうか」
これは悪い意味でとればまさに袁紹軍そのものだといえるでしょう。
功績を立てても足をすくわれ、失敗すれば当然刑罰。
謙譲の心で謙遜すればアラをつつかれ、いつ讒言で命を落とすかわからない。
こうした環境下で一体誰が成果を残し、功績を立ててその栄誉を受け取ることができるのか。
そういう意味で、組織論として袁紹軍というのは考慮されてみる価値のある組織だと思います。偉大なる失敗例としてですね。
・ということで今回は袁紹軍がこういう感じでしたというのがざっくりと書けたかなと思うんですが、機会があればまたもっと掘り下げてまとめて書いていきたいと思っています。
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