菜根譚19、富貴と才知(魯粛の話)






 「富貴の家というのは、人に対して寛大であるべきである。
 ところが実際にはかえって器量が狭いものだ。これはすなわち富貴であるということが行いを貧しくするのである。これでどうしてその恩恵を受け取ることができるものだろうか。
 賢い者はその才知を隠すのが良い。
 しかし実際にはかえってひけらかしたりするものである。これは賢さというものが、賢さへの病的なこだわりによって人を愚か者に変えてしまうのである。そうなってどうして失敗しない理由などあるものだろうか」


 ・これをまとめるならば、「人はその長ずる所に死せざるは寡(すくな)し」ということになるでしょう。

 そもそも滅亡した人でその長所によって滅ばなかったケースの方が少ないと言えます。
 韓信は兵法にあまりにも優れていたので真っ先に殺されねばならず、また楊修(ようしゅう)はあまりにも頭の回転が良すぎたことから曹操に疎まれ殺されます。
 劉備は義弟の関羽や張飛を殺されたことによる私憤から戦争を起こし、戦争に大敗して失意のうちに死にますが、これですら劉備の美点である義の厚さですね。これの前に死んでいると言えます。つまり、こうして誰もがその美点や長所の先で死んでいるのだと。


 そもそも戦場に出て一騎打ちなどをするというのは少なからず武勇に自信があるからするのであり、ある程度の自信がなければそもそも一騎打ちどころか戦場に出たりもしません。でもそれによって最後まで生き残るのはほんの一握りです。自信があるからそれをやり、その中で大勢の人間が死ぬことになる。でもこれは現代でも全く無縁というわけではないと。
 仕事としてやるとか、やれるなんていうのはこれと同じでやはり少なからずそれに自信があるし自信がないのならそもそもその場に立つこともありません。自信があるからやるのであって、その先で生きることを選ぶわけですからその先で死ぬのもムリのないことだといえます。苦手ならそもそもやりません。つまりその長所や美点ですね。これに執着することで多く命を落としてきたと言えるし、自信があることによってやはり命を落としているのだといえるでしょう。負けたくない、勝ちたい。自分の腕を試してみたい。そうした思いがすくなからずあったのは間違いないと。


 ・孫策という武将がいました。
 孫策

 彼は実行力に優れ、計画性もあり、陣頭に立てるほどの勇敢さもあり、19歳にして君主として立ち、数年で江東一帯を支配し、小覇王と呼ばれるようになります。
 小覇王というのは、恐らく覇王である項羽を念頭においているものであるでしょう。20代にして天下をほぼ統一したと言っていい業績を挙げたその項羽になぞらえて、そこまではいかないけど江東一帯をすさまじい速さで制圧した孫策を称えて人々は小覇王と呼んだと。
 ただ彼はあまりにも一人だけ優れ過ぎていたところがあり、それを意識していた面もかなりあります。
 自分は何でも優れているけど、世の中の有象無象の大半は大したこともない、実力もないヤツらばかりだと舐めていたわけです。そうしてちょくちょく独断専行していたところが、仇と狙われていた一味に襲われてあっけなく命を落とします。
 こうして26歳であっけなく死んだわけです。これなどは、優れているものによって命を落とす方の典型ですね。


 ・一方で呉には魯粛(ろしゅく)という人がいました。
 魯粛

 この人、どの話を読んでも赤壁の戦い前などに劉備と諸葛亮のいる荊州と、孫権たちのいる呉との関係をうまく切り盛りするために四苦八苦しているだけの人というような描かれ方ばかりしているんですけどね……(笑)
 折衷役というか、交渉の場で最前線に立ち、呉の顔も立てなきゃいけないけど劉備たちの気持ちもわかってやるみたいな。そして劉備の前では気持ちはわかるけど呉の事情も考えてくださいよと軽く小言を言い、孫権の前では一体おまえは劉備の配下なのかわしの配下なのかと小言を言われて冷や汗をかいてるようなイメージがあります。そしてそういう人物が、劉備に「貸している」荊州の催促に劉備のもとへちょくちょく行くわけです。まるで借金取りの取り立てみたいですが、物腰が柔らかなのであまり凄みはないかもしれないですね(笑)

 でもある意味では、大都督である周瑜(しゅうゆ)にすらできない荊州軍との交渉ですね、この非常に繊細で一触即発にもなりかねないような大任を任されるほどの信頼と交渉能力があり、そしてその交渉によってなされた劉備と孫権との同盟関係があったからこそ赤壁の戦いをうまくまとめられたと言えるのではないかと思います。結構地味で目立たない立ち位置ですけど、私は赤壁の殊勲者としては魯粛を挙げたいくらいですね。

 ・この魯粛ですが、元々家はかなり裕福で、周瑜に「兵糧がないので援助をしてもらいたい」と言われた際に、二つある倉のうちのひとつを全部あげてしまうほどの気前の良さもあります。周瑜もこれには驚いており、なんと剛毅な人なのだというのが第一印象だったようですね。富豪でありながら、物に執着していない。もともとこういう気質があったようです。まあ食糧以上に、孫策や周瑜に印象付けておいた方が得であり、後々生きると思っていたのかもしれません。
 物資があっても出さないとか、ケチった末に賊に奪われてすっからかんになるような例もありますし。かと思えば戦国時代の平原君などは、長平の戦いの後にも豪奢な生活をしており「あなたにとって趙の窮状は他人事ですか」と言われ、その時に物資を提供したりもしていますが。そもそも物資がない、あるいはあってもそこまで考えが及ばない、考えは及んでいてもつい執着してしまうなんて例の多い中で、魯粛の示した率先して倉を差し出すということは英断だといえるのではないでしょうか。


 ・呉の大都督は周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜と変わっていきます。
 周瑜は赤壁で曹操を破っているし、呂蒙は荊州を奪還し、関羽相手に勝利を収めています。陸遜は劉備を相手に夷陵の戦いで大勝を収めていますが、こうした華々しい例と比べればどうしても魯粛は一段劣るかのように見えます。少なくとも華々しさには欠けるものがある。
 しかし魯粛の目が行き届いていたうちは呉は劉備とはことを構えるようなことはありませんでしたし、もめごとがないということは単純に国力を増すことになったといえる。それが以後の呉を支えていたことを思えば、魯粛のいた時代に何も大過がないというのは注目に値するのではないかと思います。







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