菜根譚14、汚より清、暗より明(韓信、范雎、伍子胥などの話)
「糞虫は最も汚いものであるが、これが変じて蝉となり清い露を秋風の下で飲むのである。
腐草には光がないが、これが変じて蛍となりその風采を夏に月光の下で輝かすのである。
こうして知るのである。
清とは常に汚より出で、明とは常に暗より生じるということを。」
・蝉の幼虫を糞虫と言ったり、蛍は腐った草から生じるとかいろいろツッコミどころが多々ありますが(笑)
作者の洪自誠(こうじせい)という人が1500年代末~1600年代初の頃ですから、こういう認識はあったとしてもまあ不思議ではないのかなと。
洪自誠
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E8%87%AA%E8%AA%A0
科学的な見地からは大いに間違っていると言われると思いますけど、でも別にそこをガンガン上げてはつっついていこうというスタンスでは別にないのでスルーするとしまして。
・「乱極まれば治生じ、治極まれば乱生ず」とか言いますが。
今回の菜根譚の言葉が言いたいことはこれに近いのかなと。
こうした認識というのは中国には古くからあったように思いますし、中国らしい見方だと思います。
ただ、数値に表して「0-100」といったような値で乱と治を測るというわけにはいかないわけです。現実はそう容易くそうした指標通りに収まってくれるような生易しいものではないといえる。そもそも何をもって指標化するかも難しい。あくまでも感覚的に把握される話でしかない。
それこそ敵を皆殺しにするとか全滅させるとか、一族を断絶させるとか三族皆殺しのような手段を使うのが合理的ですし、こうした手段によって人為的に治の極みを作り出し、一本も乱の兆しが今後出てこないようにしてしまう。これが中国のやり方なのでしょう。
え、これでは治が極まって乱が生じないかい? となるかもしれませんが、実際には事実を表しているというよりは警告し、人々に注意を促すような性質のものなのでしょう。
・ちなみに探してみるとこういう本もありました。
https://www.taishukan.co.jp/book/b238170.html
「中国文明の中で大きな役割を果たしてきた虫の中から、権力の証であるセミ、悲恋を彩るチョウ、パラレルワールドの主役であるアリ、霊力をもつと信じられたホタル、富裕層に珍重されたハチ、為政者の徳を象徴するバッタの6つを取り上げ、歴史・文学・美術・生態観察・昆虫食の逸話も交えて自在に語る、虫から見た中国文化論」
おもしろそうですね。
ちょっとこれは読んでみたい一冊ですね。
この話でセミは権力の象徴であり、蛍は霊力の象徴である……とも読めなくはないでしょうけど、まあ今回はスルーしましょう。
・汚いものから清く美しいものが生じ、腐ったものを元にして蛍のような光を放つ生物が生まれるとだけ見ることもできると思います。
つまり汚いものは美しいものの源泉であると。
畑だって肥やしがなければ作物は取れない。
汚いもの、醜いものはそうした一切物が生まれる源泉であるらしい、という方向性はここにあるように思います。それが循環するとかしないとかはここでは置いておいてですね。
・中国史には最低最悪の屈辱の状況から立身出世を果たした人物がいろいろいます。
韓信や范雎(はんしょ)、伍子胥(ごししょ)などはその典型といえる人物でしょう。
韓信
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1
范雎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8C%83%E9%9B%8E
伍子胥
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8D%E5%AD%90%E8%83%A5
韓信は若いときに勝負をせず大人しく相手の股くぐりをしたことで「股夫(こふ)」を呼ばれ、このあだ名は一生ついて回ることになりました。韓信自身は別に気にしているような記述をみかけたことはありませんが、敵に常に「股夫」と呼ばれる様は見ている方がが腹が立ってきます。まあ見方によっては敵が勝手に「股夫」と侮ってくれるから韓信にとっては利用して戦いやすかったりしたのかもしれません。
また范雎については誤解から嫌疑をかけられ須賈(しゅか)によって殴打され、ボロボロになった挙句に便所に放り込まれ、小便をかけられるという屈辱を受けます。しかし魏と須賈に対する恨みの激しさが范雎を駆り立て、范雎は秦の宰相となり、恨みのある魏へと復讐をし続けることになります。
伍子胥は楚の平王に父と兄を殺され、凄まじい恨みを抱えますがそのまま呉へと亡命します。
そして当時まだ小国だった呉を手助けし、国力を増した呉は楚を攻撃しますが、すでに平王は死んでいます。
死んでいますが、伍子胥は墓を掘り起こして平王の遺体にムチを打ちます。
これは「死屍に鞭打つ(ししにむちうつ)」という成語になりました。
死屍に鞭打つ
https://kotobank.jp/word/%E6%AD%BB%E5%B1%8D%E3%81%AB%E9%9E%AD%E6%89%93%E3%81%A4-518965
意味としては既に死んだ人の言動、行為を非難することだそうです。
ただこれはあまりにも残酷すぎるということで当時から伍子胥は散々に非難されてきました。死んだ者に対して墓を掘り起こしてまで恨みを晴らすのかと。
そこで伍子胥が答えたのが「日暮れて道遠し(ひくれてみちとおし)」だと。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%97%A5%E6%9A%AE%E3%82%8C%E3%81%A6%E9%81%93%E9%81%A0%E3%81%97/
もう残りの寿命も長くないから焦って分別のないことをしてしまったのだと言っています。
伍子胥はこの後呉王に遠ざけられ、自害して果てます。
そして呉は急速に衰退していき、さらに小国である越によって滅ぼされることになります。
まるで呉は伍子胥の到来によって栄え、伍子胥の死によって急速に衰退したかのように見えます。
・こうして韓信、范雎、伍子胥と三人見てきましたが。
屈辱とか恨み、復讐心、そうしたものはものすごいマイナスな感情であり、エネルギーなんですよね。他の感情とは比較にならないくらいにどでかい感情だと言っていい。
でもこのエネルギーをうまく制御しつかえれば国を栄えさせ豊かにし、人が安らかに暮らせる土台を作るということもできたわけです。つまりこのエネルギーの方向性を変えるといっていいでしょうね。正しい方向へと向けると。
かと思えば、伍子胥のように墓を暴いて死者を鞭打つようなことをして人の心を離れさせる結果を招く場合もある。
もともとといえば伍子胥も家族を大した理由もなく殺されていたわけです。
「なんとむごい王か」というのもあれば「伍子胥もかわいそうに」と思う人の心もあったでしょうが、伍子胥がこうして死んだ者にまで鞭打つという残虐で容赦ない姿勢を見せることで一気に流れが変わったように思います。かわいそうという人々の思いが、なんて残虐なことをする人だと変わってしまった。
そして伍子胥は最終的に呉王に自害を命じられて果てるわけですが、明らかに人の見方は違うんですよね。
家族は楚王に殺され、自身はがんばっていながら呉王に死を命じられた。ああ、なんてかわいそうだとはならないわけです。
あれだけ残虐なことができるような人間だから、最期も悲惨でも仕方がない。そういう言外の言葉があるかのようにすら感じられます。がんばった伍子胥が大きくした呉が、伍子胥の死とともに消えてゆく。ここにはあまり挟まれるべき感情や言葉がないように思うんですよね。というのは伍子胥が人々からの心や信望を失ったからだと言えるでしょう。
・ということでいろいろ並べましたが、要するにこの段で言いたいのはマイナスな感情ですらもどでかいエネルギーの源であり。それをうまく御していく、方向性を整えていく。そしてより良い方向性へと向ければ栄えた豊かな世界を作ることもできる。そうでなければ大量に破壊し、破壊に次ぐ破壊で何も残らなくなってしまう。自らの命ややってきたこと、後世に残されるべきことすらもなくなるんだと。
今回はそうしたことを言おうとしているのかなと思いましたね。
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