菜根譚12、家庭生活(桓公と呂后の話)






 「家庭に一個の真仏があり、普段の生活に一種の真道があるのである。
 そこには人の誠心があり、互いに気が和する。
 穏やかな顔つきがあり、言葉は優しい。
 父母兄弟の間にこれらが流れ、己というものが融け、意思が通じ合う。
 これは調息し座禅に浸る万倍もの効果があるだろう」


 ・家庭生活、日常生活の大切さを説いてますね。
 単純に言えば日々幸せであることが大切だし、日常を大切にできない者に奇跡を語る資格はないというヤツですね。
 さらっといえばそうなりますが、中国の歴史を考えてみるとまた趣はがらっと変わるといえるでしょう。


 ・斉の桓公(かんこう)という人がいました。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%93%E5%85%AC_(%E6%96%89)

 管仲と鮑叔の主君として有名ですね。
 管仲を宰相に就けて自由にさせることで天下の覇者となった人です。
 でも管仲の死後は悲惨でした。
 桓公はその後、放蕩に明け暮れ、佞臣(ねいしん)の言葉ばかりを取り上げるようになる。
 詳しくはこちらにあるのですが、
 https://blog.seesaa.jp/cms/article/regist/input

 斉はこの後後継者争いになり、病床の桓公はほったらかし。
 誰が桓公亡き後の権力を握るかで誰もが必死だったと。
 死んだ桓公の死体からはうじが湧き出し、部屋の外まであふれ出るような有様だった。
 中華の覇者として。絶大な権力と名声を誇った人としては、無残な最期といえるでしょう。
 67日間、ですから二か月間放置されていたということですね。


 家族の中にそうしたことに対する憐れみの気持ちを持っている者が全くいなかったのかはわかりません。
 そうした気持ちはあっても、権力争いの渦中で下手すると誅殺されかねない危険を考えるとできなかったという事情もあるかもしれませんし。
 そもそも桓公の持つ絶対的な権力を持てさえすれば親の葬式とかどうでもいいと思っていたのかもわかりません。あるいは、身内でなくても家臣の中に桓公の生前の徳を偲んで……という流れがなかったとも言えるでしょうが。とにかく、親の葬式どころではなかったということ、それくらい権力争いが厳しかったのは間違いないかなと思われます。


 ・管仲は「衣食足りて礼節を知る」と言っています。https://kotobank.jp/word/%E8%A1%A3%E9%A3%9F%E8%B6%B3%E3%82%8A%E3%81%A6%E7%A4%BC%E7%AF%80%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%8B-432368
 「物質的に不自由がなくなって、初めて礼儀に心を向ける余裕ができてくる」のだと。
 これを桓公に説いていますが、それを桓公は生前「これのことか!」とわかり、膝を打って喜んだ、というようなものは聞いたことがありません。ということは、恐らくは死ぬまでこの意味を明確に分かったということはなかったでしょう。管仲の政策は商売によって人々の生活を富ませ安定させることを最優先としたものでしたが。確かにこれによって富国強兵で斉は富んだのは間違いないでしょう。しかしじゃあどこまで礼節を知ることとなっただろうか。物質的には豊かになり、衣食も足りてきていたかもしれない。でも礼節の重要さを知るだけの余裕は果たしてどこまであっただろうか。
 恐らくは、斉はその余裕が持てるような状態にはまだ全然至っていなかったに違いありません。
 そのことを一番痛感させられるような出来事が、まさか桓公の人生の最期の時期だというのも非常に皮肉な話だなと思わされます。桓公の死は、この言葉の意味をその最期を通して伝えている、あるいは訴えているすらと言えるでしょう。
 つまりは
 「衣食足りて、権力争いで死ななくても済むかもしれないような余裕もできてきて、初めて礼節を知る」ともいえるかもしれません。


 ・時代は変わりますが、張辟彊(ちょうへききょう)という人物がいました。
 漢の功臣は韓信・蕭何・張良(ちょうりょう)が挙げられますが、この張良の息子です。
 張良
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%89%AF

 張辟彊
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E8%BE%9F%E5%BD%8A


 劉邦が死に、その次の恵帝が死んだ時に、呂后(りょこう、本名は呂雉りょち。劉邦の妻)は泣きますが、涙を流しませんでした。我が子が死んで悲しくないはずはないのだが、涙を流さない。
 これを張辟彊は、
 「これは呂氏が権力を握れるかどうかを思案しており、悲しんでいる暇がないからだ」と看破します。
 そして陳平に、呂氏一族を高位に就けてやるべきだと進言します。
 そして陳平は呂后に、呂氏一族を高位に就けてはと進言し、これが受け入れられ、呂氏一族は高位に就きます。
 こうして、呂后は初めて安堵し、我が子の死を悼んで涙を流したんだと。


 時代は全く違いますが、言いたいことは桓公の場合と同じでしょう。
 恵帝が死に、強力な後ろ盾を失う。
 そうなると、いつ誰に誅殺されるかわからない。
 誰が自分に恨みを抱いているかもわからないし、誰が自分を殺して成り上がろうとするかもわからない。
 そうした時の不安を取り除くためには、高位に身内が就いていれば安心だと。


 ・ついでに戚夫人(せきふじん)の話も取り上げます。
 戚夫人
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%9A%E5%A4%AB%E4%BA%BA

 劉邦の側室です。
 劉邦に愛されたため、後継ぎ問題で大いにもめて呂后に睨まれた人です。
 後継者問題は呂后が勝ったので、劉邦の死後に復讐が始まります。
 この話はエグイので割愛しますが。
 権力争い、それからそれによる自らの地位や命の脅かしがいかに恐ろしいものか。
 それに耐えている期間の呂后の恨みがいかに大きく、その反動としての喜びがいかに大きかったか。呂后は権力者として命令を下せるわけですが、その命令がエグければエグイほど、よりリアルに細微に渡って思いを乗せているというのがよくわかります。「神は細部に宿る」とか言いますけどね。
 呂后の命令、それから仕打ちというのは様々なことを如実に語っているように思われます。



 ・とまあ様々取り上げましたが、古代中国の権力者の家族、身内、味方のありようというのはかなり変わっているなという印象です。
 まるで敵と戦っているのか身内と戦っているのかわからなくなるほどであり。
 敵が消えたら今度は身内という強大で恐ろしい相手を敵に回さなくてはならなくなる。
 力を合わせればいろいろなことができそうなものなのに、いかに相手を蹴落とすかに奔走している感じがあります。エネルギーをよそに使えばすごいことができそうなのに、その前に味方同士ですり減って消耗している。ここで生まれた処世術とかは確かに素晴らしいものでしょうし、こういうことを念頭に置いた配慮ができればしっかりしているのかもしれませんが、そもそもそれを気にすることなく生きていくことができればかなり有意義なのではないかと思えます。いかにも姿勢が後ろ向きというか。過去、身内、ルール。そうしたものを振り返りつつ進めなくてはならないことのムダの多さを感じます。


 これを基準にするのもどうかと思いますが、こうでない家族というか、家族がこういう状況でないということがいかに幸せなことかを思わされます。身内のことですり減らないことがいかに重要なのか。いかに人がこうしたところでムダにエネルギーを消耗してきたのか。それに引き換え漢が一丸となって強大な楚に立ち向かっていた時がいかにまとまりがあり、輝いていたか。


 楚と漢の攻防、その後の前漢というのはこうしたことを雄弁に語っているように思います。







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