菜根譚11、名誉と不名誉(韓信と蕭何の話)






 「完全なる名誉や素晴らしい評判などというものは、一人で全部持ってはならない。
 そのうちの少しでも他人に分け与えることで、害を遠ざけ己の身を保つことが可能となる。
 不名誉や汚名というものは、そのすべてを他人になすりつけてはならない。
 そのうちの少しでも己に着せることで才を包み隠し徳を養うことができるのである」


 ・前半後半で言いたいことは大きく分かれていますが。
 これは主に韓信と蕭何(しょうか)について言及していると思っていいのかなと思います。
 韓信
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E4%BF%A1

 蕭何
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%95%AD%E4%BD%95


 ・韓信は当時無敵の楚の項羽に対しても無配でした。項羽が自ら陣頭に立って突撃してくるタイプであれば、韓信は作戦を練って思い通りに戦いを推移させていくタイプだったわけです。項羽を挑発したり水攻めを使ったりと様々な方法で楚を追い詰めていきます。戦いが終わってみると、誰もが疑いなく韓信こそ武功第一であると信じて疑わなかったわけです。
 そうして中国が統一されてみると、今度は韓信がもしも裏切ったら漢などひとたまりもないという恐怖と不安が膨らんでいくわけです。劉邦にとってみれば、韓信ほど頼もしかった男が今度は恐ろしくてたまらないと。韓信がひとりである程度の兵を握れば、漢など簡単に滅ぶでしょう。そうして蕭何によって呼び出され騙し討ちに遭い、韓信は殺害されるわけです。


 ・もしも秦から漢への移行期に、韓信が韓信以外の者を褒めて称えるような余地があったとしたら。それによって韓信があまりに目立ちすぎ、韓信一強となった状況をちょっと見直そうとする方向性があったならば。あるいは、蒯通(かいとう)という者がこれを見越して「漢王を裏切って独立するべきです、劉邦でも項羽でもない第三の勢力となるべきです」と言った、この勧めに従っていれば状況は全く違っていたでしょうが。でも最終的には韓信はどうしても殺害されなくてならなかった。そして殺害されることになったわけです。
 こうした状況を思えば、
「完全なる名誉や素晴らしい評判などというものは、一人で全部持ってはならない。
 そのうちの少しでも他人に分け与えることで、害を遠ざけ己の身を保つことが可能となる」
 というこの前半部分は、韓信は一体どうすれば良かっただろうかと考えた時の一つの答えにはなると思います。


 (まあ私としてはとっとと裏切って、蒯通の勧めに従い、独立して斉王になっておくのがベストだと思うわけですが(笑))


 ・秦が滅び、楚も滅んで漢の時代が到来し、蕭何は相国(しょうこく)の地位に就きます。
 項羽との戦いでは補給がいつも物を言っていたのですが、劉邦の漢軍は補給を切らしたことがなかった。
 一方、項羽の陣営は短期戦では無敵でしたが、長期戦になると補給が続かず、撤退を余儀なくされるという欠点があったわけです。
 戦いについては無敵の韓信はいるにはいたわけですが、一度も補給を切らしたことがないという蕭何の影の功績が称えられたわけです。
 まあ韓信を最高位にするとコワイといった事情はあったにせよ、影でずっと補給を切らさぬようがんばっていた蕭何が称えられたという結構画期的な論功行賞だったと言えるでしょう。
 そして最高の不安の種だった韓信も粛清が終わり、誰もが一息ついたことでしょう。


 ところが、じゃあ劉邦は次は誰に対して怯えたかといえば、この蕭何だったわけです。
 もしも蕭何が裏切れば、劉邦は喉元に当たる部分にナイフを突きつけられるに等しい。
 誰からも信用されており、もしも裏切れば賛同者も多いだろうし、ダメージが最も大きくなりかねないのが蕭何だったと。
 そうなると、次に最も恐ろしいのは蕭何ということになります。
 蕭何としてはこれはどうしたもんかなと思案することになります。


 で、詳しくはこちらを参照してもらえたらと思うんですが。
 http://kanso.cside.com/syouka-10.htm

 「蕭何はここでわざと悪政を行って(田畑を買い漁り、汚く金儲けをした)自らの評判を落とした」のだと。
 劉邦としては民から苦情が入るので、当然蕭何を叱りつけることになるわけですが。
 劉邦が最も恐れる蕭何に対する人々の信用であり、人望の厚さ。これを蕭何自身が損なうことで、劉邦は安心するわけです。
 田畑を買い叩き、私腹を肥やすとか。
 いかにも絵に描いたような悪代官のようなクソ野郎みたいなマネをするということ、それによって信用を落とし信望を傷つけることが劉邦を安心させる。
 けっこうこういうことが意識してなされるというのは非常に珍しいことなんじゃないかなと思いますが、乱世下での行いと治世下での行い、それから目指すべき方向性、そうしたものがいかに違うものなのかを明確に表しているものだと言ってもいいものでしょう。韓信はそういうことを考えて合わせていくことにあまり長けていないというか苦手だった印象がありますが、蕭何はそれに比べれば苦労しながらも治世下ですべきことについて柔軟に対応していっているなという印象があります。


 「不名誉や汚名というものは、そのすべてを他人になすりつけてはならない。
 そのうちの少しでも己に着せることで才を包み隠し徳を養うことができるのである」


 というのがここでの後半部分でしたが。蕭何は敢えて不名誉や汚名をかぶることを選んだわけです。
 それによって劉邦の不安を取り除くことに成功した。
 「あいつの信望ヤバいな……」と目をつけられていたのを、「あいつそんなに金に汚いのか。最低な野郎だな」と思わせる。これによって身の安全を確保したと。


 ・じゅあこれによって蕭何は、自分の才を包み隠すことはできたかもしれませんが、では徳を養ったか? と言われるとどうかはわかりません(笑)
 ただ、命を長らえる道は選べた。
 不名誉や汚名なんて本来ないほうがいいものを敢えて選ぶことですら、信用を損なうことと命を長らえるというそうした効用があるということは重要でしょう。
 秦の都である咸陽(かんよう)に入った時には金目の物には全く目も眩むことなく、地図やデータを運び出すことに専念したような欲のない男が蕭何であるわけです。誰のアドバイスかはわかりませんが、そういう私腹を肥やすようなマネですら自らの命を助けるような効果があるというのを知った時にはかなり驚いたのではないでしょうか。


 「ムダなものなどない」という言葉はあるにはありますが。
 私腹を肥やし、人民を嘆かせ、自らが牢屋に入れられるようなそういういかにもな悪い行い、それですら場合によってはきちんとした意味があり、ムダどころか非常に有意義だという場合があるわけです。蕭何の場合は殺されないためにもそれが必須だと言ってもいいわけです。「清濁併せ吞む」と言いますかね。
 後半部分はそういうことを言おうとしているのではないかと思います。




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