菜根譚9、侠気と素心(管鮑の交わりや刎頚の友の考察)






 「友と付き合うにあたっては三分くらいの侠気を持ち合わせなくてはならない。
 また、人が人となるにあたっては一点の素心を必要とする」


 ・「侠気」というのは何かといえば、あの「任侠」とかの侠気です。
 男気とか、利害損得を離れてやる気持ちとか、しでかすことというか。
 いい意味では友のためなら命も金も利害も顧みない姿勢ですが、悪い意味では世の中の秩序を大いに乱しても仕方ないという姿勢だとも言えます。

 司馬遷も史記の中に「遊侠列伝」という項目を敢えて設けています。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A0%E5%AE%A2

 史記とは「編年体ではなく紀伝体」であると言われます。
 つまり年を追って歴史をみていくのではなく、歴史上の主要な登場人物に焦点を当てつつ歴史を見ていくというわけです。
 詳しくはこちら
 https://note.com/taojigsaw/n/n91e081b3ff6c

 司馬遷の紀伝体というスタイルではこうして侠客を紹介できるのは非常に都合がよかったのでしょうが、まあいらないといえばいらないと言えないことはない。単純に歴史を見るだけであれば、時代をただ追って流して見ていくだけでいい。
 でも司馬遷はそれを選ばない。かなり任侠無頼の人とかをこうして挙げているし、自分と同じような不幸な境遇に陥ってる者を敢えて紹介しては自分の怒りをその者と重ね合わせて、この世に対する恨みを発散させつつ自分も発散している節があるといえるでしょう。まあそれはちょっと余談ですが、
 漢を興した劉邦が40過ぎまで無頼の徒であり、侠客であったのでこういう項目を作っても悪く言われないという事情もあったのでしょう。国としてもあまり都合のいいものとは言えないとは意識しつつも、でもそれを敢えて言えば漢の高祖である劉邦を悪く言う結果になりかねない。けっこう難しい立ち位置だったのでしょう。あまりにも称賛すれば、漢の国を転覆させる要因とすらなりかねないし。劉邦とほぼ同時期に陳勝・呉広(ちんしょう・ごこう)という人も活躍していましたので、へたしたらこういう人たちを擁護することにもなりかねない。

 陳勝・呉広の乱
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%8B%9D%E3%83%BB%E5%91%89%E5%BA%83%E3%81%AE%E4%B9%B1
 まあそこらへんの複雑な事情があり、司馬遷もしめしめとけっこう書きたいように書けたのかもしれません。


 ・余談が長くなりましたが、とにかく「侠気」を「三分くらい」という書き方がけっこう味噌だなと思います。
 友のためなら男なら、自らの利害を顧みることなく助けてやる。
 それは立派でしょうが、下手すれば国の秩序が維持できなくなる。犯罪行為を肯定し誘発する結果となる可能性が出てくるわけです。

 例えば、郭解(かくかい)などの人が遊客列伝には取り上げられていると。
 郭解
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%AD%E8%A7%A3
 
 郭解の身内が他人に好き勝手して怒らせて、殺されました。
 当然怒りと復讐心に燃えるわけですが、相手からきちんとした説明を受けたので、その罪を許しました。
 例え身内が殺されても、そこに納得のいくような筋がきちんと通っていれば許すと。単なる無鉄砲ではなく、きちんとした自分たちなりのルールを持っているわけです。
 最終的には手が付けられないような一大勢力になり、犯罪行為が増えたので皆殺しになったのだと。


 義理人情に厚く筋を通す心は立派ですが、それも行き過ぎれば犯罪をよしとしてしまう。破滅につき進む。お上の言うことを恐れることなく立てつくこととなる。
 かといって、この心を少しも受け入れられないというのであればそもそも友人とは呼べない。
 ここのところの兼ね合いを「三分程度持ちなさい」という表現で表しているところが菜根譚の巧みさだなと思います(笑)
 全肯定はしないけども、全否定もしないよと。
 でも五分とも言わない。
 まあ三分くらい持ちなさいと。


 ・「素心」とはなんであるかといえば特には書いてないですが、解説には「汚れなき心」とあります。
 これ確かに言わんとするところはわからんでもないですが、つまり計算とか打算というものを抜きにする心だと言いたいんだろうなと。
 人が人となるには、計算や打算のない心が必要であるのだと。
 

 これも難しいところなんですが、例えばいじめられているヤツがいたとして本気で止めにいったら見事に敵だらけになるんですよね。勝ち目のない勝負を敢えてするってのは、そりゃ美しい心かもしれませんがそれがいかに損であるかはやらなくてもわかる話です。つまり損得勘定をすれば、いやするまでもなく誰だって損だなんてのはわかると。それこそ動物や獣だってわかる話でしょう。10対1のところを割り込んでいって10対2になる。それくらいなら誰だって11対1としたいわけです。
 でもそれではまだ人ではないと。言い方を変えるんなら、そんなことは動物でもできる。
 人が人となるにはそうした計算を離れて初めて人となるのだとここで言っていると言えるでしょう。


 ・まとめますと、友人となるには任侠の心が「三分くらい(笑)」必要だし。
 人が人となるには計算や打算のない心が必要なんだとここでは説かれています。
 これで思い出すのは、管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)と刎頸の交わり(ふんけいのまじわり)ですね

 管鮑の交わり
 https://kotobank.jp/word/%E7%AE%A1%E9%AE%91%E3%81%AE%E4%BA%A4%E3%82%8F%E3%82%8A-471462
 深い友情、終生変わらぬ友情だと。
 ここのサイトからそのまま引用しますと、
 「管仲(かんちゅう)と鮑叔牙(ほうしゅくが)の交わりの意で、深い友情のたとえ。
 管仲と鮑叔はともに中国春秋時代の斉(せい)の人で、非常に仲がよかった。若いとき共同出資で商売をし、利益を管仲が余分にとったが、鮑叔は「あれは家が貧しいから」といって非難しなかった。またともに戦いに赴き、管仲は三度まで逃げ帰ったが、鮑叔は管仲を卑怯(ひきょう)者とみなさず、「彼には老母があるからだ」といったと伝える、『史記』「管晏(かんあん)列伝」の故事による。『列子』「力命篇(へん)」には、鮑叔が管仲をよく理解し、その行為について、いついかなる場合にも怒ることのなかったことを、管仲が深く感謝して「私を生んだのは父母であるが、私を知っているのは鮑叔だ」といったと伝える」


 刎頸の交わり(ふんけいのまじわり)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%8E%E9%A0%B8%E3%81%AE%E4%BA%A4%E3%82%8F%E3%82%8A
 互いのために首を切られても後悔しないような交友関係のことだそうです。
 この言葉を最初に言い始めたのは廉頗(れんぱ)と藺相如(りんしょうじょ)でした。
 趙のためなら、互いのために首を刎ねられても惜しくないと。
 かなり管鮑の交わりに近いような、非常に濃い友人関係を思わせるものだと言えます。


 この廉頗と藺相如から50年ほど経って、張耳と陳余(ちょうじ、ちんよ)という二人が出ました。
 この二人も廉頗たちを見習いあやかって、互いを刎頚の友としようと決めます。
 ところが二人の間に誤解が起き、陳余によって張耳の一族は皆殺しとなります。
 そして二人は仲たがいし、韓信率いる漢軍に張耳は参加し、陳余を打ち取ります。
 そして張耳は新しい趙王となりますが。
 

 「互いのためなら首を刎ねられても惜しくない」はずの二人が憎しみ合いとうとう敵同士となり家族を皆殺しにし、そして戦場で敵同士となり、殺しあう。
 刎頚の友だったはずの二人ですが、なぜこうなったのかについてはよくわかりません。いろいろいざこざがあったのでしょうし感情のもつれがあったのでしょう。それを詳細に把握することはなかなか難しい。
 でもまあわかることは、刎頚の友云々と言ったって非常に脆いものだよと言うことです。ちょっと風が吹けば誤解が生じ、憎みあう。人が人を信じる、あるいは疑う。打算や利害、感情が入る。考えられる要素など山ほどあるわけです。


 そこで重要になるのが「管鮑の交わり」なんじゃないかなと思います。
 管仲と鮑叔の間だっていくらでも疑いをはさむ余地はあったわけです。盗んだんじゃないのか、身代わりにして逃げようとしたんじゃないのか……生きて帰って褒美だけ掠め取ろうとしているんじゃないか。
 でも鮑叔は管仲を悪く見ることはなかった。信じていたといえるし、そういう人ではないと思っていた。
 好意的に見ていた、といえばムリが入るかもしれないし。
 我慢と忍耐の一点張りだったとなればなおさら続かないでしょう。
 疑いをはさむ余地など探せばいくらでもあるし、逆に挟まないほうが難しいと言えます。


 なぜそれでも鮑叔は管仲を信じることができたのか……これは考える価値があると言えるでしょう。




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