菜根譚8、大局と局所(視点の相対化について)






 「人と生まれて特に素晴らしい事業などを興さずとも、世俗の心から解脱できれば名流に入ることはできる。
 学問をして特に工夫を凝らすことなどをせずとも、外界からの影響を減らしていくことさえできれば聖境を超えることはできるのである」



 ・この手の話ニガテなんですけどね(笑)
 系統としては禰衡(でいこう)とか孔融(こうゆう)とか竹林の七賢とかその手の話になると思います。
 禰衡
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B0%E8%A1%A1

 孔融
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E8%9E%8D

 竹林の七賢
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E3%81%AE%E4%B8%83%E8%B3%A2


 竹林の七賢などは清談を好んでいたと。
 清談
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E8%AB%87
 
 重要なのは、「知識人とはすなわち貴族であり政治家であった。その知識人がもっぱら世俗を離れた清談に終始していたことは、西晋の滅亡の大きな要因となったといわれる」というくだりでしょうかね。これが全てってわけではないわけですけども。

 まあそりゃあそうで、優秀な人ってのは目の前にある問題をいかに的確かつ迅速に対処し片付けていくかってところが重要なわけです。
 曹操なんかはその最たるものでしょうが、禰衡はその曹操を捕まえて「あいつなんかはそんなに大したヤツでもないよ」と言ったりしてるわけです。
 曹操がすごくなかったら、一体誰がすごいんだよと思うわけですけどね(笑)


 ただ、曹操の対処能力や物事を見る目とか、学んで成長する能力とかは非凡だと言えるでしょう、中国の2/3を統一した能力は素晴らしいでしょうが、ではその非凡さや優秀さはともかくとして、じゃあその先を見る目はどうかといえば確かにケチはつけられると言える。
 曹操の親戚にあたるのが曽真、その子が曹爽(そうそう)になりますが、曹一族は司馬懿によって皆殺しに遭っていると。
 曹操の死後29年ですから、30年後には曹一族はこういう末路を迎えているわけです。

 曹爽
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E7%88%BD


 曹操は確かに英雄だし非凡な能力を持っているとはいえるでしょうが、見方によってはそれ以上ではないと。
 死後のことは見抜けないし。司馬懿の野望を見抜けていても、そこまでの手は打てない。
 そして曹一族は夏侯一族とともに皆殺しになります。
 さらには一生懸命がんばってきた事業は丸ごと司馬氏によって乗っ取られたわけです。


 「優秀」とか「非凡」とかいうそのくくりというものがかなり限定的なんですよね。
 「大局的な見方」というのを考えるならば、その優秀さなんてのはホント局所的なものでしかない。
 時代の流れ、世界の広さ、この世界にはたくさんの人がいるわけですが、ではそもそも「優秀さ」ってそこまですごいものなのか。
 そういう見方というものがあり、曹操のやってきたことの対極にそうしたものが確かにあるなというのはわかります。
 そしてその二つというのは決して矛盾し対立し打消し合うような、そういう性質のものではないんですよね。


 その兼ね合いというのが難しい。
 大局を言い始めれば、努力や所詮は局所的な優秀さなんてものはあってないに等しいものだといえます。
 でもその局所的な優秀さとか頑張りを否定すれば、結局はそれによって世界は支えられているわけですから、秩序は崩壊する。
 それを支える人の努力、その緻密さによって世界は成り立っているわけですから。
 かといって、それが全てではないんだと。
 今やっているその緻密さが全てだと思うと、バランスを欠いてしまう。
 局所的な優秀さとか頑張りとかを否定したら世界は成り立たない。


 まあニガテな話なんでここらで端折りますけど(笑)、こうした大局的な見方ってのは今やっていることを膨らませるものでもあるというのは重要な意識だと思うわけです。
 それは絶対的なものではないということ。相対的に視点を変えて眺めてみることは可能だって意識ですね。
 そして後世になったら、死後30年50年経ったとして、果たしてどこまで意義かあるのかということ。
 こういうことにしっかりと応えることのできるような仕事であれば、それは決して一時的なムダな意識や錯覚ではないといえる。
 そこで悩んだ末に獲得されたしっかりとした手ごたえというのは、間違いなく仕事の幅というのを広げているといえるでしょう。
 だから、これによってせっかくの仕事が司馬氏に掠め取られていくとか。
 仕事の緻密さ自体が無意味化されていくとか。
 そうした視点を持った仕事でも「無意味だよ」の一言で片づけられるとか。
 そういうことの対策としては非常に大きいものだと思うし、現代にもっとあっていい視点だとは思うんですよね。
 多様な視点を持ち、その視点全てにある程度の意味を感じ取ることができる、手ごたえを感じることができる……ということがあれば、その方向性は仕事の意義を増す意味でも非常に重要なんじゃないかと個人的には思います。
 あ、これなら抜けがないなと手ごたえが感じられたらですね。いいですよね。


 まあ私も別に仙人でもなんでもない凡人なんで(笑)、ここらで終わることとします。



この記事へのコメント

  • トルストイ「名将は運がよかったから名将」
    2020年05月19日 11:29
  • きんた

    名言ありがとうございます!

    > トルストイ「名将は運がよかったから名将」
    2020年06月17日 19:19
にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村