菜根譚3、君子の心と才知その2(劉備が中策を選んだことから)






 「君子の心のありようというのは、天が青く日が白いように、人に知られないことがないように。
 君子の才知については、包まれた珠が秘蔵されるように、人に良く知られることがないように」



 →君子の心は人に良く知られなくてはならないが、才知については知られてはならないというもの。


 ・ということでパート2ですが、前回分が長くなったので今回こちらに書こうかなと。
 


 ・劉備は諸葛亮に天下三分の計を説かれます。
 それがなんて素晴らしい案だと思った劉備は、荊州、そして益州を取ることになるのですが。
 その益州を取る前の場面になります。


 益州を取るためにそれまでやってきた劉備は、益州の主である劉璋(りゅうしょう)に、北から張魯(ちょうろ)が攻めてきてましてぜひご助力をお願いしたいと言われます。
 そして劉備は龐統(ほうとう)と共に益州の地へと足を踏み入れることになるのですが。


 一応劉備の野望としては、この益州を取ることが長い間の目標だったわけなんですけど、いざやってきてみるとさてどうしたものかなと。
 いきなり奪い取るってのもどうかと思うし、かといって何かをするにもお互い劉家でもあるし。
 なにより援軍として受け入れてくれた劉璋は野望なぞ知らず、暖かく受け入れてくれたわけです。
 これからどうしたものかねえ、と龐統に聞くと、三つの策を示されることになるわけです。


 このまま成都へと攻め上り、劉璋を捕らえて殺害し成都を奪ってしまう。これが上策。
 白水関を攻めて奪い取り、そこから成都へと向けて攻め上る。これが中策。
 一旦荊州へと戻り、軍勢を整えて再度益州へと攻め上る。これが下策。
 劉備としてはここで中策を選び取り、徐々に益州を奪うことを決意するわけですが。


 ・諸葛亮に天下三分の計を説かれ、素晴らしいとは思ったものの、それを実現するためにはどこかで卑怯なことをしなくてはならないわけです。劉璋から土地を奪わないといけないし、劉璋と敵対しないといけない。信用をしてもらったから益州内に入れたわけだし、恩義を受け手厚くもてなしてもらったし、同族でもある。それを裏切らなくてはならないのだと。


 「心」を言い出したら、いくらでも大義は成り立つと言えるでしょう。
 漢王朝の逆賊、曹操と戦わなくてはならない。
 天子を救い出さなくてはならない。
 そのためにまずは力をつけなくてはならない……
 その大義のためには、小義は捨てなくてはならない。


 ほかにも劉璋が悪かったとかいくらでも言いようはあるでしょうし、要するに奪ってからでもいくらでも理由をつけることはできるとはいえる。
 とはいえやってることだけ見たら、用心棒として来たお客さんがその家を乗っ取ったのと何ら変わらないわけですから。


 ・ある意味この劉備による乗っ取り行為がなぜそこまで批判されることがなかったかといえば、ひとつには群雄割拠の戦国期だったからだとも言えるでしょうが。隙を見せた劉璋が悪いと言えば確かに悪い。
 とはいえ、確実に「ああ劉備ってのはそういうことをするヤツなんだな」という印象は人々の間にあったに違いない。でも全く対策がなかったわけではないでしょうし、善政を敷いていけばなんだ劉璋よりもいいじゃねえかという風に印象も変化していったりもしたのでしょう。善政を敷くというのは、ある意味では「こういう心の持ち主です」というアピールだと言えるし演出だといえる。それによって君子の心を知らしめる行為だといえる。
 

 ・ではなぜ才知は隠しておかなくてはならないのか?といえば、これは才知が原因だとわかるということは非常に嫌味にみえるからでしょう。
 「善政を敷く」ということは主君は人民のことを大切に思っているんだな、という心のアピールではあるでしょう。
 でもこれが「こうすれば人心は把握できるものだ」という計算によって成り立っていることがわかると、非常に嫌味ったらしく見える。
 「心」が計算になり、賢さが「怜悧さ(れいりさ)」に映ってくる、こうなってくると非常に印象が悪くなってくる。


 ・もし劉備が合理的に割り切って考えられる人間で、劉璋を殺しても善政を施してりゃ人は付いてくる、大丈夫だとあっさり劉璋を暗殺し、上策を取って益州を制覇していたらどうだったろうか。
 確かに結果から言えばどちらにしろ制圧するわけだから結果では変わらない。むしろかなり早まっただろうから被害も少なく、中策が○だとすれば上策を取ったその結果は◎かもしれない。単純に結果だけ見ればそうなるといえる。何ひとつケチのつけようがない結果。
 じゃあなぜ中策を取ったのか、という話になるだろうが。


 ・ここは私が思うに、上策という◎の繋がりだけを最重要視していたのではないということが重要なのではないかと。
 上策は取れないことはなかったのだが、それでも中策を選んだ。
 そこには言ってみれば遠慮がある。取る側として、取られるものに対する一種の配慮があると言えると思う。
 ベストな結果を、ただ淡々とベストなやり方でやっていく。そこには心がない。血も涙もない。
 でも劉備にはそこに入れることができるだけの配慮があった。当時の人の心はどうだったかはわからないが、今から当時を知ってみて分かる何らかの配慮がある。
 ここに意味がある、というよりこうして現代においても考えてそこに意味を見出すことができるということが重要なのではないかと思うわけだ。



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