菜根譚1、遇と不遇(道徳と権勢、諸葛亮と司馬懿の考察)
ということで今日から菜根譚(さいこんたん)します。
本は角川ビギナーズクラシックスのヤツ使ってます。
けっこうここの本、ざっくりとけっこうな量はしょってるんですが、解説が時々非常に優れているんですよね。
「道徳を住みかとする者は、一時的に不遇を託つ(かこつ)こととなる。
権勢にへつらう者は永遠に渡る地獄をさまようこととなる。
一方で達人とは見えないものを見、死後の生を思うのである。
一時の不遇は受けても、永遠の地獄はさまよってはならない」
・さて。
これを解説しろってすさまじく難しいですけどね(笑)
戦国策の短いヤツを毎回解説しろというくらいの難しさがありますが。
・これいじめ問題がわかりやすいんじゃないですかね。
いじめっ子を見て見ぬフリしてるヤツってなんだかんだ言ったって、大半は心が痛い思いしてると思うんです。でもその流れに逆らって敵対視されるのもイヤだし損なだけだから何もしない。でも心の中では「こんなんでいいのか」ってずっと思っていると思うんですね。そんな中やめろと飛び出すようなヤツはやっぱり人生損するだけだと思うんですよ。
でも果たしてそう単純なもんだろうか。恐らくその心意義に反応してくれて共感してくれる人って少なからずいると思うんですよね。でそういう繋がりがもしもできたとしたら、それは生涯に渡る財産にもなり得るものだと思うんです。
一方いじめてるやつはその時は楽しいかもしれん、得意げになってるかもしれん。でも後からその行いを自省するときが結構来るものなんだと思います。その時果たしてどこまで良心が耐えられるだろうか。まあ痛まないならそれはそれで仕方がない。でもそうして育てたヒエラルキーとかいじめの仕組みってのは後々まで引き継がれます。その時根絶していればよかっただろうものを活かして育てておいたがために、自らが大人になった際に今度はその仕組みで自分の子が危害を加えられることを恐れなくてはならなくなる。それを思えばイジメられることは一時の地獄です。卒業するなり不登校してしまえば終わりだと言えます。でもいじめる側はそのことを一生に渡って恐れなくてはならなくなる。一生怯え続けていかなくてはならない可能性を抱えているといえる……
まあ多分大まかにそういうことが言えるんではないかなと思うんですよね。かなり広げてみましたけど。
・さて。
この話によく合致する中国の人物はわたしは諸葛亮だと思います。
諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B8%E8%91%9B%E4%BA%AE
この人は劣勢の蜀で、漢王朝復興のために尽力する劉備玄徳のために働き続けました。
劉備死後もその遺志を継ぐべく働き続け、結局中国2/3を占める圧倒的な魏の前に病死することとなりましたが。
・一方、その諸葛亮と戦っていたのが司馬懿仲達(しばいちゅうたつ)です。
司馬懿仲達
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%87%BF
この人は蜀などはしょせん小国ですから、いくらがんばったところで補給も続かない、兵士も疲弊するなどを読んだ上で戦いをすべて持久戦に持ち込もうとします。要するに戦わなければ自動的に勝てるのだと。
この目論見は正しく、蜀軍は諸葛亮は病死するし、補給は続かず、過酷な北伐によって蜀はすり減っていくわけです。
ところが大国の魏は戦力が増す一方。
これでは戦になりません。
そして司馬懿によって魏はスカスカにされていき、司馬懿の孫の司馬炎(しばえん)によって晋(西晋とも)がたてられて魏は滅亡し。三国時代は終わりを迎えていくわけです。
・この二人の戦いから1800年くらい経ちましたが、じゃあ勝者は諸葛亮なのか、司馬懿なのか?といえば、圧倒的に諸葛亮だと言えるでしょう。
二人の戦いだけ見れば圧倒的に司馬懿率いる魏軍の勝ちなわけです。
そして司馬懿は魏をボロボロにし、孫の司馬炎は晋を立てて皇帝となった。
曹操と夏侯氏らの協力によって興されたといっていい魏ですが、司馬懿によって曹一族も夏侯一族も皆殺しに遭っています。
こうしてみるとうまいところだけもっていった勝者の中の勝者……と見えなくもないですが、人の評価はそうは見ていない。
「自分を拾ってくれた魏に対する忠誠心が全く見えない」
「まさに寄生虫みたいなヤツだ」
と評価は最低です。
司馬懿の主君だった曹操だって、身を興してから中国の2/3を統一するほどの華々しさを見せときながらその子孫がまさか皆殺しに遭っているとは思いもしないでしょうが。曹操の天才ぶりと華々しさが輝くだけに、その後は悲惨の一語に尽きます。
・じゃあ後世の人の諸葛亮に対する評価はどうなのか。
蜀という小国の丞相(じょうしょう、今でいうところの首相)を勤め上げ、常に苦戦を強いられていた。
賢い人なだけに、北伐という行いの無謀さと勝機のなさはわかっていただろうに、しかし最期まで屈しなかった。
劉備玄徳への恩を生涯忘れなかった。
こうしたところが非常に高く評価されています。
それはちょうど、諸葛亮に圧勝した司馬懿の評価が下回れば下回るほど諸葛亮の評価が上向きになると言っていい。諸葛亮が評価されればされるほど、司馬懿は下向きになっていくと。
それを思えば、諸葛亮は戦いに負けつつ大局的に勝ったといえるでしょうし、一方の司馬懿は戦いに勝ちつつ大局的に負けたといえるでしょう。
だから結論からいえば、諸葛亮は道徳を住みかとした「達人」だったといえるでしょうし。
曹操や司馬懿は権勢を最大に見て永遠の地獄にはまり込んだ例かも知れません。そしてそこで勝ったかもしれないけど、まあ達人ではないよねと。
そういうことがいえるんじゃないかと思いますね。
とはいえ、じゃあ諸葛亮っぽく生きることが「正解」なのか、司馬懿っぽく生きることは不正解なのか、と言い始めたらそういう風に断定することはなかなか難しいかなと。
ただ、歴史的には負けたはずの諸葛亮を高く評価する流れがあるということ。
そして勝ったはずの司馬懿がなぜか異常に低く評価されているということ。
そういうものがある、そういう流れを把握するということが重要だということにしときたいと思います。
(まあさらに付け加えるなら、劉備は死ぬ間際に「オレの息子の劉禅はアホだからダメだこりゃと思ったら君が代わりに皇帝やってくれ」と言い遺しています。
いかに劉備の諸葛亮に対する深い信頼があったかを表すものだという話もありますが、わたしとしては諸葛亮の高邁なる「野心」を見抜いた劉備が先手を打ったともいえるんじゃないかなと思っています。何しろ、劉備は人を見抜く天才だった……という話もありますから。まあそこまで言ってしまうともはや三国志ではなくなるので(笑)、そこまで言いませんけども。でもそういう見方があってもおもしろいかなとは思いますね。
そんなこんなで一筋縄ではいかない三国志でした。)
この記事へのコメント