戦国策98、段干越人が新城君に手綱の長さについて言いに来る話






 段干越人(だんかんえつじん)が新城君(しんじょうくん)に言った。
 「馬を御する名人である王良(おうりょう)の弟子が、馬を車に付けたのですが
 『これは一日に千里を行く名馬だ』
 と言っておりました。
 そこへ馬を御する名人である造父(ぞうほ)の弟子がやってきて言いました。
 『残念だが、これでは千里は走らんな』
 王良の弟子が言いました。
 『この馬は千里の馬だ。
 服(ひき馬)としても千里の働きをするだろう。
 それが走れぬとはどういうことだ』

 それに対し造父の弟子は返しました。
 『あなたの手綱が長すぎるのだ』


 手綱などは全体からすれば万分の一程度のものでしかないものです。
 それなのに、千里を行く際には妨げとなるのです。


 今この臣は不肖と言えども、秦においてはやはり万分の一程度の価値はありましょう。
 相国におかれましては、この臣とお会いになるのに相国との間を妨げる者を退けようとはなさいません。
 これは手綱が長すぎると言うことができるでしょう」


 ・段干越人(だんかんえつじん)も探しても特には出てきませんが、とりあえず知恵者であるようだなと。
 前回は白珪(はくけい)がやってきてましたが、新城君というのは悪く言えば愚痴られたりいろいろ言われたりするタイプの人間のようですが、よくいえばいろいろお節介焼きがやってきて言われるタイプの人間のようです。それをめんどくさいというような人であればこうなってはいないでしょうから(世の中の99%以上はそうでしょうけど(笑))、かなり人望のある広く知られた人物なのだろうなと思われます。
 ただし、話の内容は白珪とほぼ同じようなことを言っているなと。
 時系列は分かりませんが、一度言われて直っているのであれば本来この話は全くなかったはずでは、ということは重要ではないかと。


 ・手綱の価値は全体の上では万分の一程度であり、段干越人の価値も大したことはないが秦では万分の一程度はある、と言います。
 これは謙遜であり、実際は秦の方ではけっこう重く見られていると思っていいでしょう。
 そしてその位置におり、重要な情報を持っているかもしれない段干越人がいろいろなことを言うにあたっては、この新城君との間には手綱が長すぎて間隙があり過ぎるがゆえにいろいろなヤツがあまりにも介入できすぎるのだと。
 つまりこれは何が重要かといえば、いくら言葉を用いたとしても間でいろいろ考える余地があり過ぎていろいろな人が介入しているうちに内用なんていくらでも変わってしまうのだと。
 褒める内容ですら「あれは褒めているように見せかけながら実は皮肉っているのです」となれば憎しみの対象となるでしょう。
 あるいは怒りや不満ですら「あれは感謝の念を表現しているのです」といえばそのようになるといえる。


 ・例えば、秦の始皇帝は中華統一を果たしましたがその後死亡します。
 二世皇帝となったのは胡亥(こがい)でしたが。
 胡亥についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%A1%E4%BA%A5


 この人のすぐ側でいろいろな話を伝えていたのは趙高(ちょうこう)という宦官でした。
 趙高についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E9%AB%98

 この人は様々な悪事を働きます。
 始皇帝が死んだら遺書を偽造し、始皇帝の長男であり嫡子であった扶蘇(ふそ)を殺害する。
 功臣であった蒙恬(もうてん)も殺害し蒙一族を殺しまわる。
 さらには李斯(りし)の一族も皆殺しとなります。
 そして窮地に陥ると皇帝の胡亥を殺してすべての罪をなすりつけますが、その後すぐに殺されるわけです。


 ・この趙高の果たした役割とはなんだろうかといえば、フィルター的な意味合いが非常に強いといえるでしょう。
 遺書を偽造して様々な人に伝える。
 様々な報告を握りつぶす。
 あるものは好意的に、あるものは極めて悪質に報告し、自らが望んだような結果を皇帝から引き出す。
 自らの邪魔者になりそうであれば先手を打って殺す。
 こうなると皇帝である胡亥は傀儡(かいらい、操り人形のこと)と言ってもいいでしょう。事実上、情報の取捨選択を行い、それによって自らの望み通りの結果を引き出していたのは趙高なわけですから。
 つまり「フィルター」的な立ち位置を支配され握られると、統治機構というものは非常に脆いと言える。まさに首根っこを押さえられるといってもいい。そこを牛耳られると手も足もでないということ。
 この形は繰り返され、三国時代の前には董卓が皇帝を差し置いて好き勝手してましたし、蜀の末期には宦官の黄皓(こうこう)が同じことをしていたので蜀は為す術もなく滅びました。
 このことは現代でも変わらないほどの普遍性を持つと言ってもいいでしょう。


 ちなみに趙高は「断じて行えば鬼神もこれを避く」とか「馬鹿」といった言葉のもととなった人物としても知られています。


 ・白珪が前回言っていたこととはつまり、魏の昭王の前で新城君のことを悪く言わないことはできるけど、新城君の前で他のヤツが自分をそしることを止めることはできませんというものでしたが。それは言ってみれば君主に吹き込んで悪感情をもたれることが問題となっていたわけですが。
 今回の話はそうしたことではなく、統治構造とそこでのフィルターの重要性について言っているものだと考えることができるでしょう。これはその後の中国の歴史を見れば、かなり先見の明がある指摘だと言えます。


 
 ・ちなみにこの本の解説では、この話は「千慮の一失」ということを言おうとしているものだと言っていますのでここで紹介します。
 千慮の一失
 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8D%83%E6%85%AE%E4%B8%80%E5%A4%B1/

 「絶対に失敗しないと思われた賢明な人でも、失敗することがあるということ。十分に考えて準備していても、思わぬ手抜かりがあるということ」
 こうして新城君は確かに賢明な人なんだけど、手綱が長すぎて失敗しているのでは、と暗にほのめかしているということですね。
 だから「猿も木から落ちる」的な意味合いで捉えていいんじゃないかと。
 でもここで単純に「要は千慮の一失だろう」とすれば、ここまでの話がしばらくこれで片が付くような話ばかりだよなあと。というより戦国策自体がまさに「千慮の一失」集みたくならないかと。そうなるとあまり深堀する価値がないというか、一話だけ取り上げれば片が付くように思えてなりません。
 そうなるとどうも違和感があるというか。
 その後数百年に渡って中国が悩んできたことをここで指摘していることの鋭さみたいなものが、かなりボケてしまう気がしますね。



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