兵法と農業と林業と狩猟






 以前に私が初めてイノシシの殺戮現場を見たのはもう4年か5年くらい前になるだろうか。




 
 個人的には自衛隊の訓練で毎年射撃していたんだけど、それはあくまで「射的」でしかなかった。そこではいかに点数を稼ぐか、でしかなかった。
 でもこれは違う。
 これは明らかに対象を殺すために撃っている。
 恥ずかしい話だけど
 「ああ、銃って殺すためにあったんだ……」
 と人生で初めて気づいた瞬間でもあった。
 銃というのが対象を狙撃し、命を奪うものなんだと。
 マンガでも映画でもテレビやスマホの中を少しでも見てみりゃ銃による殺戮に溢れてやがるが、この瞬間にそれらすべてが初めて一本の線に繋がった。


 そう。この世界の隠された真実だし見てはいけない何か。
 それに初めて触れたような心地がしたもんだった。


 ということで、
 これ結構な衝撃を受けたのであちこちで思いついたことを書いてきたんだけど、ちょっとまた思いついたことがあったのでまとめときたい。
 

 ・兵法と狩猟というのはかなり性質が近いものだと言っていい。
 例えば韓信の兵法を見ていくとわかるのは、味方への被害や損害、疲労を限りなく0に近づけ、なおかつ敵の被害や損害は100に近づけるようなものだと思っていいと思う。
 例えば水を多く用いる戦法も多いけど、あの時代は「孫子」というのが今でいう常識となっていた。誰もが孫子を読み、孫子を元にして戦争とかそういったものを考える時代になっていた。
 でもそうなると例えば孫子は「水攻めは下策」というようなことを書いているわけだ。そうなると孫子も当然読んでいただろう韓信は全く孫子の言ってることに全然従ってないじゃないかということになる。実際のところは、孫子が常識となっているということは。当然下策である水攻めはしないだろうという予測を誰もが立てている。あるいはそもそもそうした予測自体をしないと。その予測を大きく裏切る意味で、水攻めは効果的であると韓信自身が踏んでいただろうことは間違いない。
 相手が想定していないのであれば、当然水攻めは効果的だといえるわけだ。


 ・こうして韓信は水攻めを行うわけだが、それというのは先に書いたような味方への被害を0に近づけ、敵の損害を100にするというような方向性を持っているといえる。
 つまり具体的には自軍の被害を0に近づけるという収束があり、そして同時に敵の損害を最大化する方向で収束を図るという意図もある。
 この考え方というのは今でも形を変えてこの社会の中で生きている。
 例えば狩猟ではイノシシを殺すわけだけど、銃殺するとしてこれで「99%こちら側に被害がない」ということは極めて危ういことを意味している。
 100発撃てば、そのうち1発は味方や近隣住民とかに当たる可能性があるということになるわけだ。
 99.9%なら1000発に1発は当たるし、99.99%でも10000発に1発は当たるということになる。


 ・具体的には、今から二年前こうしたニュースがある。
 https://www.asahi.com/articles/ASL527TH2L52TLVB00V.html
 散弾銃のうちの一発が市役所の職員の額に当たり搬送されたという話

 こちらは高知県の話だけど、誤射で誤って高齢女性が死亡する事例が発生と。
 https://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/070201/syuryosyainfo.html


 じゃあ今のその事故による死亡の確率がどのくらいになるか、というと99.99999999……%くらいはほぼ何も起こってないんじゃないかと思えるけど、でもこれでもダメなわけだ。
 これに関しては100%じゃないといかんけど、それでも気を付けていてもこうしたことが起こってしまうという現状があると言えるだろう。


 ・狩猟ということを見てきたが、100%安全でなくてはならないはずなのに99.99999999%となっている現実があるということで見てきた。
 で、これというのは兵法の極意と極めて近いものがあるだろうと。味方の損害を限りなく0に近づけ、敵の被害を限りなく100に近づけると。こうして敵側の被害を大幅に拡大させていかなくてはならないし、その結果としての味方の被害の最小化と敵側の被害の最大化、これによって最終的に導き出された結果がその戦争の戦果だと言えるだろう。
 敵はへろへろで次の行動もままならないようになればもうほっといてもいいし壊滅させてもいい。でもこっちは全然疲れてないし被害も出てないから速やかに次の行動へと移ることができる。これが次の戦いにも生きることになるし、これが以降も続くのであれば百戦しても被害ゼロなわけだからピンピンしてるわけである。


 孫子は「百戦百勝してなお危うからず」とは言っているが、しかしそもそも勝利の最上形は戦わないことだと言っている。戦わずして相手を下すことが最上であると。そして無傷のまま相手を併呑して大きくなり、その状態で次の相手を併呑する。戦争すれば100が50にもなったりする、そうすれば敵に付け入る余地を与えかねない。
 ところがこの方法であれば100が200にも300にもなって脹れていくわけだ。膨れていくから敵に付け入る隙を与えない。
 それを体現している、とは言い難いのであるが。
 とにかく韓信はその兵法によって味方の被害を最小化し、敵側の被害最大化を図り、それを成功させ、結果的に「百戦百勝してなお危うからず」を実現してしまったといえる。常に自軍の戦力を一定に保つことができる。



 ・ではそういう形で農業と林業とを見ていくとどうなるか。
 平成25年の統計では、全産業の12倍高い死亡率が出ているのが林業だと出ているようである。
 https://news.livedoor.com/topics/detail/13019512/


 で、実際に林業の講習を受けていても、けっこうしょうもないことで命を落としたり大けがを負ったりする例がある。
 「かかり木にかかられてる木を切って、かかり木が降ってきて死亡」
 とか
 「太腿の上に乗せた丸太をチェーンソーで切っていたら、丸太を切った後に足を切って動脈を切って出血多量で死亡」
 とかそんな話が多い。
 んなアホな!と思われる方が多いかもしれないが、実際そうなんだから仕方がない。
 「大木を切って、それに巻き込まれて死亡」とかそういう話じゃないわけだ。むしろそんな露骨に危ないヤツであれば誰だって注意をする。大木が倒れてくるぞーなんて状況なら、誰だって逃げる準備は万全なわけだ。
 でもそうでないところは注意をしない。
 注意が行き届かないから、太腿の上で丸太切ってて足も切って死亡、とかになったりする。


 ・ということで防げたはずの事故が防げないのだが、それを防ぐことができれば死亡率は最小限に抑えられるわけだが。
 じゃあどういうことが大切かといえば力まないとか。集中しないとか。危ない場所は安全にするとか。そういう基本を忠実にやっていれば抑えられるのだが、これがなかなか難しい。毎日毎日基本に忠実であるということがいかに難しいか。理想は無事故なのだが、0に近づくどころか全産業の12倍の死亡率を叩き出してしまっているのが現状である。



 ・では農業は、というととりあえずは植えたものを収穫できさえすればいいわけだ。ある数を植えて、で100%収穫できればいいし、できなければ問題がある。
 イノシシや鳥に襲われて20%損害は出したって80%は残っている。
 40%の損害だって60%は残っている。
 さすがに100%やられたら生きていけないけど、そこまでなる前におりを作ったりして対策を立てるわけだ。そして100%を目指しはする。しかしそこでの「100%」の意味と重要性は、兵法、狩猟、林業にあるような意味合いとは全く意味合いが異なるものであるといえる。行ってみれば、80%、80点くらいを取れば合格だし、99.99999999なんて数値を目指して完璧を目指すようなものではないだろうし、そんなんやってたらあんたの身が持たないよと言えるだろう。



 ・兵法、狩猟、林業は100%を目指さないとヤバいような代物であるといっていい。99%大丈夫といっていても、残り1%がいつくるかわからいというのではそもそも成り立たない。
 大木を100本切っても一人もけが人が出ない状況でなくてはならない。100本切ったら一人は死ぬ、というのではいずれ全滅しかねない。1%ってのはすさまじく高い数値だといっていいだろう。
 だからこそ99%はヤバいのだ。
 100%は無理かもしれない。
 でも、明日は99.9を。
 明後日は99.99を……とそうして目指していく性質のものがここにはあるといえるわけだ。そしてこの方向性を目指すということが絶対に必要とされる。


 ・じゃあ農業は……といえば、そこまで100%を目指さなくてはならない意味合いは薄れると言えるだろう。98%とか95%でもいいだろうし。
 収穫できて、それで儲けられるかとか自分たちが食っていくに困らなければ別に90%でもいいだろうし。そもそも市場との兼ね合いで作った作物を潰す例だって多々ある。
 ある程度の収穫が望めるならばいいか、と考えるならば99を99.9999999に……という意味合いはかなり薄いといえる。むしろそうした方向性をもっていないといっていい。ある意味では臨機応変だといえるだろうし、細かいことにはこだわらないともいえるだろう。


 ・ということでとりあえず4つを例に出して違いを並べてみた。





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