戦国策96、龐葱が魏王に釘をさしておきながら、結局ダメだったという話






 龐葱(ほうそう)は、魏の太子と共に趙の都である邯鄲(かんたん)へ人質として行くこととなった。
 龐葱は魏王に言った。
 「今、もし一人の者が『市場に虎が出たぞ』と言ったとしまして、王はこれを信じられますか」
 王「いや」
 龐葱「では二人の者が言いましたら」
 王「あるいは出たかも知れぬと思うだろう」
 龐葱「では三人が言いましたら」
 王「信じるだろう」

 龐葱は言った。
 「市場に虎など出るはずがないことは明白なことです。
 それにも関わらず三人して言えば虎は出せるのです。
 

 ところで邯鄲は魏の都である大梁(たいりょう)を去ることは市場の比較にもならぬほど遠く、そしてこの臣について言う者は三人どころでは収まりますまい。
 王におかれましては、どうかこのことを御明察くださいますように」

 王はこれを聞いて言った。
 「わかった。
 できる限り知恵を働かすこととしよう」

 こうして龐葱は暇乞をして立ち去った。
 すると讒言の方が彼の到着よりも早く王の耳に届いたのである。
 その後、太子は人質を解かれて帰国したのだが、王に御目通りすることは叶わなかったのである。


 ・ここの最後のところですが、太子はお目通りが叶ったが龐葱(ほうそう)はできなかった、というのと二人ともできなかったというところで解釈が分かれますが。まあそういう解釈の違いがあるというのだけ踏まえてもらえればと思います。実際、讒言されて龐葱は怪しいぞとなってても太子はでも大丈夫だったとも思えますし。
 かと思えば龐葱が怪しいってなってるのにそれとセットになってる太子は怪しくないってのもおかしな話ですから。まあ二人ともお目通りできなかったというのが自然なのかなと。実際はわかりませんけど、でも普通に考えたら怪しい龐葱と一緒にいた太子は全く疑われてないのでお目通りできたよ、となったら話の辻褄が合わないですけどね(笑)
 ネット上では、「龐葱はできなかった」が多いようですが、私としてはテキストの「二人ともお目通りできなかった」の方がより自然で正確ではないかと思いますのでこちらを採用したいかなと。


 あと余談ですが、「龐」(ほう)の姓といえば龐涓(ほうけん)という人がいます。孫子の兵法で有名な孫臏(そんぴん)によって徹底的に打ち破られた魏の武将ですね。同じ魏の人だし何か関係があるのかなと思いましたがわかりません。
 後は三国時代の龐統(ほうとう)が思い出されますね。その先祖かどうかは全くわかりません。気になるところではありますが。これを始めたらキリがないですけどね。蜀に龐羲(ほうぎ)なんてのがいましたが、まあ龐統となんか関係があったとかなかったとか聞いたことがないし。龐徳(ほうとく)なんてのも西涼にいましたけどね。キリがないけど一応関係を疑いたくなってしまうというですね(笑)
 まあこれはここらでやめとくとしまして。


 ・魏での王となると、恵王が最初になるようです。
 それ以前となると武侯となりますので、そもそも王ではないと。
 恵王についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E7%8E%8B_(%E9%AD%8F)
 恐らくはこの恵王か、もしくは次の王くらいの時に書かれたのでしょう。
 はっきりしたことはわかりません。趙に人質として太子を送ったとなるとどこかに記録が残っていそうなものですが。


 この恵王、後に商鞅(しょうおう)となる公孫鞅(こうそんおう)が魏につかえていた時の王のようです。
 当時、魏の宰相に公叔痤(こうしゅくざ)という人がいまして、商鞅を推薦して「この者を重用すれば必ずや魏は大国となれましょう、それができないのであれば今すぐ殺してしまうべきです」と言ったわけです。
 味方にいれば幸福をもたらすが、敵に回すと災厄に繋がると言ったわけです。
 でも恵王はこれを無視したので、商鞅は秦に行き、富国強兵に務めたと。なので秦は圧倒的な国力を持つことになりました。一方の魏はそれからというもの秦に圧迫され続け、悲惨なことになりました。
 見事くっきりと両国の明暗が分かれたわけです。


 ・私としては、この王は恵王を指しているんじゃないのかなと。
 いつもの妄想ですけどね(笑)


 公叔痤によって推挙されたけど結局言うことを聞かなかった。
 採用もしなければ斬首もしなかった。
 で秦を一大強国にしてしまい、魏を没落させてしまったいってみれば岐路に立っていた、そして失敗した時の王であるわけです。
 そしてこうして龐葱が先に言ったにもかかわらず忘れた。
 で見事に讒言に引っ掛かりお目通りできませんとなっている。
 同じことを繰り返しているわけです。これが失敗だったと認識できればいいものの、そうでないから同じ形を繰り返している。
 その意味での「あの時宰相の公叔痤の推挙も無視したヤツなのに、宰相でもない龐葱に言われたとしてもできるわけねーだろ」というのがこの背景にあるように思われてなりません。
 そうなると、「いやいや、この王はあの時宰相の言葉も受け入れられなかったのに、龐葱が言ったところでムダじゃない?」ってのもあると思います。


 つまり「人を見て物を言え」と。
 意見の正しさとか正確さもそりゃ大切です。
 でも言って受け入れられる相手を見て、何かを言うべきである。
 宰相ですらダメだったのに、一臣下ごときが何かを言ったところでどうなるものでもないと。
 それでももしやるのであれば、もっと別な方向性を意識しておくべきだったと思います。
 それが非常にわかりやすいのが戦国策95(つまり前回)ですよね。
 http://www.kikikikikinta3.com/article/474878428.html?1588473555


 恵施(けいし)は田需(でんじゅ)に言いましたと。
 「10人がかりで、あの大きくなりやすい簡単なやなぎを植えることもできる。
 でも一人が引っこ抜いたら終わりなんだよ」というわけです。
 だから王も大切だけど、王の周りの側近と仲良くしとけと恵施は言うわけです。
 これで田需は従ったかはわかりませんが、それは置いといたとしても恵施のアドバイスにある方向性は非常に鋭いところを衝いていると言えるでしょう。


 ・じゃあその他の例はどうか、といえば例えば秦の甘茂(かんぼう)の話があります。
 戦国策41ですね。
 http://www.kikikikikinta3.com/article/473324980.html?1588473871
 甘茂が韓の宜陽(ぎよう)攻略の前に秦王に誓いを結ぶと。
 で、攻略中に案の定「甘茂はダメだよ、宜陽は落ちないよ」
 と王に言った来たヤツらがいたんですが。
 あー確かにダメかもなあと思った秦王は甘茂を呼び戻しますが。
 ここで甘茂は
 「息壌の誓いをお忘れか!」
 と言って、
 「おっとっと……忘れてないぞー」
 ということで宜陽攻略は継続し、とうとう秦軍は宜陽を落としたのだと。
 君主がきちんと聞く人だし筋を通す人だし、甘茂の先読みも的確だったわけです。
 でもこれはそれがうまくいったという非常に稀有な方の話であって。
 王もよく聞く耳がある。
 臣下もきちんとした意見があり、その意見が的を得ている。
 その二つがきちんとあって、最初からいきなりうまくいくような場合の方が稀だと思うべきでしょう。




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