戦国策92、蘇秦が李兌に説く累卵の話
蘇秦は李兌(りたい)に献策しようとして言った。
「私は雒陽(らくよう)の蘇秦と申します。
家は貧しく親は老い、車はおろか車輪もありません。
足に脚絆を巻いては書物を背負い、ほこりにまみれて朝露をかぶり、歩き回るうちに足にもまめができました。
今御門の外に到着し、御前に置いて天下のことを言上できれば、と願っております」
李兌は言った。
「先生が霊魂の世界の話をしたいのであればお会いしましょう。
もし人間の世界について話したいというのであれば、私は既に知り尽くしております」
蘇秦は答えた。
「私はもとより霊魂の世界のことを話したいと思ってお会いするのです。
人間の世界についての話をしようとするのではありません」
これを聞いて李兌は会うことにした。
蘇秦は言った。
「私が本日こちらに参ります時、日が暮れてしまい外城の門外で門限に遅れてしまい、宿の当てもなく、仕方がないので近くの畑で野宿を致しました。
近くは森林の一帯でしたが、真夜中になって泥のこけしと木のこけしとが言い合いを始めたのです。
『おれは土でできている。
強風や長雨にでくわせば、崩れて再び土に帰ればいい。
でもお前は木の根か木の枝だろう。強風や長雨にでくわせば川へと流されていき、海の中で波にさらわれどこまでも漂っていくだろう』
と。
これを聞いて臣は、これは泥のこけしの勝ちだなと思ったのであります。
ところで君に置かれましては、主父(武霊王)を殺害してその一族も皆殺しとなさいました。
君が天下に臨まれるのは、累卵(るいらん)よりも危ういものでございます。
もし君が私の助言をお聞きになるのであればお命は続きましょう。
しかしそうでないのならば、早晩命を落とされましょう」
・李兌(りたい)についてはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E9%9C%8A%E7%8E%8B
武霊王の次が恵文王になります。
恵文王についてはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%96%87%E7%8E%8B_(%E8%B6%99)
もともとは太子が決まっていたのでしたが、武霊王はその太子を廃嫡して寵姫の子を取り立てて次代の王に立てました。
これで趙には内乱が起こり、新しい王によって元嫡子と武霊王は殺されることになりました。
それを踏まえてのこの話なのでしょう。
・「累卵の危」(るいらんのき、るいらんの危うきともいう)といえば、普通は先に出てくるのは范雎(はんしょ)の話のようです。
https://sanabo.com/words/archives/1999/06/post_304.html
「今、秦国は累卵よりも危うい」と言ったのだとか。これがもとで当時秦王であった昭襄王は、実力者をみな追放して自らの権威を高めた、ということがありました。
これ戦国策でも取り上げたことがあります。
戦国策66ですね。
http://www.kikikikikinta3.com/article/473967357.html?1588120023
でも范雎のことを思えば、蘇秦が李兌に「あなたの身の危うさは累卵のごとしですよ」と言ったなると50年近くは前になるんじゃないでしょうか。そうなると、范雎は蘇秦のこのことを知ってて、敢えて同じ表現を使って秦王に説明のために用いたと考えることができるでしょう。つまり「極めて危うい、次の瞬間にはもう崩壊してる」ということをそのニュアンスで表現するために、あんたの危うさは縦に卵が連なってるような危うさなんだよと表現したわけですね。
多分そういう一種のブームがあったのではないかと思われます。
・こちらのサイトには、この話の前後の流れまで詳しく説明してあります。
丁寧な仕事ですね。
https://gonsongkenkongsk.blog.fc2.com/blog-entry-373.html
・李兌がこの後どうなったかはちょっとわかりませんが。まあそこらへんはまた十八史略とか読んでみようと思っていますが。
「人間の世界のことはもう知り尽くしている」と豪語する李兌に対し、あなたの身のあやうさときたらまさに累卵ですよと言ってのける蘇秦
の言い方と看破する力が非常に冴え渡っているなというのを痛感させられる話ですね。
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