蜘蛛の糸 その4







 ということで前回はおしゃか様の要求する正解と犍陀多の現在がいかにかけ離れているかを書いてましたが、それをさらに詳しく見ていきたいなと。


 ・つまりもしも犍陀多がこの問題をクリアするとすれば、どのようにやって行ったらおしゃか様の期待する正解までたどり着けるかということですし、もしも二回目が開催されるとして(笑)、どのようにやっていったらその二回目をクリアできるだろうかという話でもあります。



 ・まず重要なのは自分だけが助かりたいという思いがないということです。すなわち、その細い糸を伝って自分だけが上っている時に他のやつらがしがみついてきたとしてもそれを悪く思わないことが大切です。「おまえらのせいで糸が切れるじゃねえか」などと思ったらいけないということは、細い糸だけどこれはきっと切れないだろうと思うことも必要です。つまり絶対に切れないだろうことを信じることが必要ですし、誰かわからないがこの細い糸を垂らしている誰か、その者はまさに自分を救いたいと思っているし、その心がある限りはきっと切れないだろうと思うことが重要だったと思われます。つまり「信じる者は救われる」であり、今こうして自分が救われかけているのだからその意図がある限りは当然この糸は切れないだろうし、切れないべきなのです。


 ・そして意図を見抜くことが重要です。
 この場合の正解とは果たしてどのようなものであるのか、今ここで果たして自分が何を期待されているかを感じ取り、それを見抜き、それを演じるということが必要です。正解があるとして、その正解に到達するまでにどれだけのことをクリアしないといけないか、つまり正解率を極めて高い水準にまで上げなくてはなりません。そういう俯瞰的な目線なくしてここでのクリアはまず覚束ないといっていいでしょう。


 ・しかしこうして思考を積み上げていったとして、ではおしゃか様の蜘蛛の糸をクリアできるとします。最も正解だろうという思考をし、それを一つ一つ行っていくと。
 糸を上っていき、下からやってくるやつらに舌打ちしたいのを我慢し、さらには感謝の念から涙を流し、ありがとうございます誰かわからないけどと口にしながらがんばって上る。
 そしてこの糸の細さにも気づかなくてはなりません。これだけ細い蜘蛛の糸なのに、たくさんの人がしがみついても、いや自分一人が上っていたところで既に切れていても不思議ではないはず。ところが切れない、ここには間違いなく何かがある。今切れてないこれは恐らくこれから先も切れないだろう。これは重量以外の要因によって切れる切れないが定められている。そう見定めなくてはなりません。
 そしてその前提の上で、「おまえらもがんばれよ!決して挫けるなよ!」と心にもないことを下のやつらに浴びせかける。そして終わった後も重要です。へとへとになったやつらに対し「負けるな!あと少しじゃないか!」といい手を伸ばす。これで120点は固いでしょう。
 でもこれが終わった時に気付かされるのは、犍陀多は悪党かも知れませんが大悪党ではなかったんだなと。
 本当の大悪党、それも相当な巨悪であれば、恐らくこれをクリアできていただろうってことです。それも当然のようにクリアし、単純に上っていいのか、いやきっと何かある、それは何だろうかと思考を巡らせながら糸を上っていき、その時々で現れる事態に対してベストな回答を出し、そして上り切っていたはずです。
 放火、殺人、窃盗をしてきた犍陀多がもしこれをクリアするとするならば、厚い信仰心でおお神よと言いながら上りきるよりは、よほど大悪党にレベルアップした方がクリアできる可能性は格段に上がるし至極自然だと言えるでしょう。



(しかし書きながらなんかカイジが脳裏をよぎるかのようだな……(笑))










この記事へのコメント

にほんブログ村 ゲームブログ ゲーム評論・レビューへ
にほんブログ村