戦国策47、中山君と司馬子期と食べ物の話
中山君(ちゅうざんくん)は都からの士大夫(したいふ)をもてなした。
司馬子期(しばしき)もそのもてなしを受けたのだが、羊の吸い物が子期のところまでは回ってこなかった。子期はこれに怒って出奔し、楚に行き楚王に説いて中山を討たせた。中山君は逃亡した。後には自分についてくる二人の男がいる。
中山君は振り返って、
「お前たちは何者か」
と聞いた。
二人は答えて、
「私どもの父が飢えて死にかかっておりました時に、我が君は一壺(いっこ)の食物を恵んでくださいました。父が死に際に申しますには、『中山に有事のあった際には、おまえたち、一命を投げ出すのだぞ』とのことです。
そういうわけで我が君のために死のうとやって参りました」
中山君はこれを聞いて、ああと嘆息し、
「人に施しをするのは多いか少ないかではない、その人が困り切っている時を外さないことなのだ。
人の恨みを受けるのに深いも浅いもない、人の心を傷つければ恨まれるのだ。
私は一杯の吸い物で国を失い、一壺の食物で二人の士を得たのか」
と言った。
・中山といえば楽毅が出身だったなということで楽毅についてはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E6%AF%85
楽羊(がくよう)という人が先祖であり、この人は魏の文侯に仕えて中山を制圧したようですね。
魏の文侯はちょくちょく出てきてますが、「呉子」を編纂した呉起を召し抱えたりして魏を強国にした人物ですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E4%BE%AF_(%E9%AD%8F)
ついでに楽羊についてはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E7%BE%8A
中山に自分の息子が人質とされていながらも中山に攻め込み、戦功を立てたと。
で、その息子の肉が入った吸い物を飲み干すほどの豪胆さを見せます。文侯は何という忠義かと感動しますが、側近に息子の肉すら食らうのですから誰の肉でも食べますよと。主君の肉も食べるんじゃないですかね、と言われて、その後冷遇されるようになった人です。
・なんかストレートな話過ぎて話が広がりません(笑)
また思いついたら書きます。
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