戦国策44、荘辛が襄王にひたすらたとえ話をする話
荘辛(そうしん)は楚の襄王(じょうおう)に言った。
「王は臣下を左右に侍らせてお出かけになり、遊ぶこと並外れており国政を放っておいでです。これでは都である郢(えい)も必ずや危うくなりましょう」
襄王
「先生は老いてたわごとを申されてか、それても楚の不吉な予言をなさりたいのか」
荘辛
「この臣には楚が必ずやそうなるというのが目に見えてございます。決して単に不吉なことを言おうとしているわけではございません。王がいつまでも佞臣(ねいしん)四人を寵愛になっていれば、楚は必ず滅びます。
この臣は趙へ身を引かせていただきます。しばらく様子を見ましょう」
こうして荘辛は楚を去って趙へ行った。
五か月経って、秦は楚を攻め土地を取り、襄王は成陽へ逃げて身を隠した。
襄王は迎えの車を用意し、荘辛を迎えに趙へと送ると、荘辛は
「承知しました」
と言った。
荘辛が到着すると襄王は
「私は先生の言葉を用いることができなかったばかりに、事態はここまでになりました。どうしたものでしょうか」
荘辛は答えた。
「ことわざに、
『兎を見つけてから犬を呼んでも間に合わなくはない。
羊が逃げてから囲いを補修してもまだ手遅れではない』
とあります。
また、殷の湯王(いんのとうおう)、周の武王(しゅうのぶおう)は百里四方の土地から起こって勢いを得ました。
夏の桀王(かのけつおう)、殷の紂王(いんのちゅうおう)は天下に君臨しながら滅亡しました。
今、楚は小さくなりましたものの土地を計算してみますとまだ数千里四方はあります。
百里四方などとはわけが違うと言えます。
王も蜻蛉(とんぼ)を御存じでしょう。
足が六本に羽が四枚、天地の間を飛び回り、うつむいては蚊やあぶを食べ、仰向いては天から降る甘露を受けて飲み、自分では何にも心配することなく人と争うこともないと思っておりましょう。
ところが身の丈五尺ほどの子どもが今や飴を上手に作っては糸に塗り付けては上空を飛んでいる自分に狙いをつけていようとは、さらには地上に落とされてアリの餌食となろうとは気づいてもいないのです。
蜻蛉はまだ小さなものです。
すずめにしても同様です。
うつむいては白い米粒をついばみ、あおむいては木にとまり羽ばたいたり翼をふるったりして何も心配はいらず、人と争うこともないと思っておりましょう。
しかし貴公子たちが左手にはじき弓を持ち、右手にはじきを持って自分に狙いをつけているとは気づいてもいないのです。昼は茂みに遊んでいながら、夕べには料理となっているのです。
すずめはまだ小さなものです。
白鳥にしても同様です。
海に遊び沼にとどまりうつむいては鯰(なまず)や鯉(こい)をついばみ、あおむいてはあさぎをつつき、六枚の羽を振るって清風に乗りふわりと浮いて空高く翔ける。
自分では何も心配はない、人と争うことなどないと思っておりましょうが、鳥を射る者が矢を作り、糸を整えて、上空を飛ぶ自分に狙いをつけており、矢じりの石を食らって糸に引かれて落ちてしまうことなど気付いてもいないのです。昼は江河に遊びながら、夜は鍋に盛られるのです。
白鳥はまだ小さなものです。
蔡の国の聖侯についても同様です。
遊び、名水を飲みうまい魚を食べ左手には若い女を、右手には気に入った女を抱え女と共に馬車に乗り、国のことはほったらかし。
楚の子発(しはつ)が宣王の命を受けて、自分を糸で縛って王に引き渡そうとしていることに気付いていなかったのです。
蔡の国のことはまだ小さなことです。
我が君においても同じことです。
臣下と遊びまわり国の金を馬車に積み込んでは馬を走らせ、天下のことは忘れておいでです。
あの穰侯が今や秦王の命を受けて我が君の領土の内側に兵を入れ、我が君を領土から追い出そうとしていることに気付いておいでではないのです」
襄王はこれを聞いて顔色が変わり震えだした。
こうして荘辛を陽陵君とし、荘辛と共に秦への対策を練り、淮水以北の土地を取り返したのである。
・今回も大変に長いですが。
この襄王、暗愚な人物として描かれていますが、荘辛の言葉を聞いて理解し、具体的な対策を練らねばと思い、そして実際にそれが結果に繋がったことが最後に少しだけ書かれています。
以前なら「おいおい遅すぎるだろ」とか思った気もしますが(笑)
でもそうではなくて、恐らくこの話の言いたいことは、この荘辛という人の話を聞いてこの襄王は理解し、ヤバいぞと認識を改め、対策を練ることを決意した、というより決意できたということが重要なのではないかと思います。
ヤバいことをヤバいですよと言い、それがヤバいんだなと分かることってのはけっこうなかなかないことで。
例えば、食客の言葉を次々に取り入れる孟嘗君とかいますが、それはすごいから取り入れるわけではなく、ただ取り入れているに過ぎないわけです。
ほかにも前漢を建てた劉邦なども本人の意思で決断した、というよりは他人からのアドバイスを次々と鵜呑みにする人物で。それが賢者の言葉に従ったから天下を統一できたわけです。
それを思えば、ヤバいですよと言われ、それを受け止め理解し、そして行動すること。
これができるというのは決して簡単なことではないし、非凡だと言っていいことだと思います。
「偉人ならクリアできたんじゃないか」的な仮定もよくありますけど、結局その場にいるのはその人なんであって、その事態に関わっているのは偉人でもほかの他人でもない紛れもない自分なんだ、と思ったら最高責任者だしどうにかしてその事態を処置しなくてはならない、ということが多々あると思うんですよね。
そうして対応していく。単純にこなせればいいか、あーもう少し工夫の余地があったなと思うか、王手飛車取り的な、一手に五つくらいの意味をこめたぜとできるか。その手が果たしてどれだけベストだと言えるのか。
そう思えば誰も同じ条件下だし、偉人だからすごいのではなく、その事態をすごい手で乗り切ったから偉人となった、と言えるように思います。
つまり何が言いたいかって、たぶん昔と違ってこの話の襄王は決して暗愚じゃないし少なくとも暗愚だったとしても、そこから具体的に事態に関わる者としてより良い手の模索を始めた、そのことは評価に値することなんじゃないかなと思ったわけです。
偉人だからいい手を打つんではなくて、いい手を打ったからこその偉人になった。
まあ荘辛という人物のたとえが非常にわかりやすくておもしろく、ヤバい! と認識できるような優れたものだったというのも大きいでしょうが。
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