アルヴィス
まとまってないけど先に書いとこう。これを書こうと思ったってのは、カップリング云々とか武器はどう、育成はどう、そうした文脈でこの話が語られることが多いわけなんだけど。例えばアイラの旦那さんは果たして誰がベストか、みたいな。
でもそれはオレにとってはおまけでしかないような気がしている。本当に語られるべき話がまだ語り尽くされてないんじゃないかと。
本当の主人公と言える人物はアルヴィスなんじゃないか。これが本当はメインとして語られてもいい、それくらいのインパクトがあると思える。
そしてまだこの話は掘り下げられてないんじゃないか、掘り下げる余地が残されているんじゃないか。そんな思いがあるわけだ。
様々な方面を詰めて行った先で語られるのは、間違いなくアルヴィスなんだと思う。
親世代は騙し討ちに合い、皆殺しにされる。まあ生き残ったやつもいるにはいるんだが、そういう言い方が既に死んだ者の存在を明確に示していると言える。
主人公シグルド一行は善意で様々な親切を施してきた。困る者を助け、悪しきを挫き。ところがその全てが裏目に出て……というのはシグルドのお人好しなところ、そして警戒心の薄いところ、つまり政治的配慮が足りないところからも出ている。
そしてその全てが裏目に出て、凱旋という形で都に乗り込んでいき、あっさりと皆殺しにされるのだ。
じゃあこうした手口を使ったアルヴィスが真に悪人かと言えば決してそうではない。そうだと言い切れない「哀しみ」がある。
シグルドはセリスの前に亡霊として現れて、言う。
「セリスよ、人の哀しみを知れ。真実は一つだけではない。それが分からなければこの戦いは無意味となろう……」そしてシグルドの亡霊は消えてしまう。
アルヴィスの持つ優しさと残酷さについては、アゼルとレックスがたびたび話題にしている。
平和を愛し、他人を愛し慈しむ心がありながら、同時にアルヴィスはシグルド一行を皆殺しにする。慈しみと残酷さは決して矛盾してはいない、そこに並置している。
なぜ人を慈しみ愛しながらも別なところではこうも残酷になれるのか。なぜこうも残酷な振る舞いをしているのに人を愛し慈しむことができるのか。
恐らくそれは人だからだ。人だからこうしたことができる。人が人である業というのはこういう形で語られる。悪人だから悪をする、というような単純さではとてもとても語り尽くせないのである。
幸いなことには、これはエンターテイメントとしては処理されなかった。意義のある死であり、国が丸く収まるためには必要不可欠な死となった。ただ、その対象となる必要な犠牲が主人公だっただけの話だ。
この上ない優しさを持ちながらも人は平気で殺戮し、殺め血祭りに上げることができる。それが決して矛盾ではない領域で成立するということ、恐らくここに重要なものがある、と思う。それがたまたまシグルド一行が対象であり、誰かが死んでくれるのが都合が良かったわけで。
かくして、シグルド一行は全滅し全ての罪は着せられ、平和が到来する。めでたしめでたし。
え?これ全然良くないだろと思える。濡れ衣だろ、ひでえ話だ。
でもシグルド一行が何も言わずに死んでくれたがために、平和は到来したわけだ……
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