戦国策42、鄒忌が徐公に美しさで負ける話
鄒忌(すうき)は身の丈八尺もあり、体つきも整っており美しかった。
朝服を着け冠をかぶって鏡を覗き、妻に
「私と城北の徐公とではどちらの方が美しいだろうか」
と問えば、
「あなたの方が美しいです、どうして徐公が及びましょう」
と言う。この城北の徐公とは斉では有名な男である。
しかし鄒忌はどうもそれを信じられなくて、今度は妾に尋ねた。
「徐公がどうしてあなたに及びましょうか」
翌日来客があり、話をするうちにこの質問を客にぶつけてみた。
「徐公はあなたには及びませんね」
その翌日徐公がやってきた。
つくづく眺めていると、とても敵わないように思われてきた。
鏡を覗いてみると、とても徐公には敵わない。
日が暮れて寝床で考えてみた。
「妻が私の方が美しいといったのは、ひいきからだ。
妾が言ったのは、私への恐れからだ。
客が言ったのは、私に取り入ろうとしてのことだ」
そこで参内して威王に謁見し、
「この臣は徐公の美しさにはとても及ばぬことを知っております。
それなのに妻は臣にひいきし、妾は私を恐れ、客は私に取り入ろうとして徐公より私の方が美しいと申しました。
今、斉の地は千里四方、城は百二十でございます。
後宮の侍女たちも側近の方々も王にひいきせぬ者はなく、この広い国内で王に取り入ろうとしない者はおりません。
こう考えてみますと王が目隠しをされていることはたいへんなものです」
と言上した。
王はこれを聞いて「なるほど」と考え込み、政令を下した。
「私の過ちを面と向かって指摘できた者には上等の褒美を取らせる。
上書して私を諫めた者には中等の褒美を、町中で非難して私の耳に入れることのできた者には下等の褒美を授ける」
これが耳に入ってしばらくの間は諫言を奉る群臣で宮殿は溢れかえり、門も中庭もまるで市場のような盛況ぶりだったが、数か月たつとまばらになり、一年の後にはそれも尽きてしまった。
燕・趙・韓・魏ではこれを聞いて皆斉に来朝した。
これが朝廷に座して戦に勝つということである。
・鄒忌に関してはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%84%92%E5%BF%8C
非常におもしろいですね。
政敵である田忌を失脚させる話。
孫臏を有名にした桂陵の戦い、囲魏救趙も実はオマケでしかなかった。
推薦することは宮廷内に味方をふやすつもりか→推薦しないことは可能性を摘んで塞ぐことかと認識を改めさせる話など。
含蓄に富んだ話が多いようです。
・ところで三国時代の話ですが栄枯盛衰は様々ありますが、滅ぶ国にはある程度の前兆があります。
劉璋(りゅうしょう)は益州を支配していましたが、自分に都合のいい話を吹き込む佞臣(ねいしん)を重用し、諫言し耳に痛い臣を遠ざけました。法正や孟達、張松といった臣は遠ざけられこれを恨み、劉備を益州に招き入れ劉璋の勢力の滅亡を招きました。
劉禅は宦官の黄皓(こうこう)を重んじ、武官文官を遠ざけました。
「何もしなくとも蜀は安泰である、何も案じることはない」
劉禅はこれを聞いて安心し、毎日酒宴にふけりました。
その後いきなり現れた魏の鄧艾(とうがい)に驚き、劉禅は何もせず降伏します。
姜維は最前線で戦いながらも、善戦空しく蜀漢は滅びました。
曹爽(そうそう、曹操の子孫)は司馬懿はじいさんで耄碌しています、ぼけておりますので恐れることはありませんと言われ、油断していたら司馬懿にクーデターを起こされ一族皆殺しに遭っています。
一方、劉備は諸葛亮と出会い「天下三分の計」を説かれ、益州に行くことを決意します。
曹操にはたくさんの文官がいますが、そういた者の推薦や諫言を基本的に聞いています。
この二つは大きく勢力を伸ばすことに成功した例です。
こうした話から何が見えてくるか。
都合が悪く耳に痛い話(諫言)を耳に入れることができない勢力は衰退します。
また佞臣を重用した勢力は滅ぶ傾向があると言えます。
都合の悪い話を聞くか、聞けないか。
都合のいい話をどれだけ好むか、好まないか。
それが明らかに明暗を分けているといえるでしょう。
そして人は都合のいい耳に聞こえのいい話を好むものです。
だからこそ都合の悪い、普通なら耳に入れたくもない話をきちんと聞けるということは非凡だといえるでしょう。
これは現代においても通じることだと言えるでしょう。
・鄒忌は自分が美男子かどうか、という話で一喜一憂しています。
これだけ見るといかにもしょぼい話ですが、でもここから見出されたことは斉を大きく変える力を持っていたと。
都合の悪いこと、耳に入れたくもないようなことをきちんを言ってくれる、教えてくれるということがいかに尊いかということを鄒忌は説いています。
これによって斉は都合の悪いことをたくさん言う者に溢れる。
ところが一年もたつと最早言うことがないほどに改革されてしまうわけですね。
・商鞅(しょうおう)という人が秦に仕えましたが、こう言っています。
「変えることがいいのではなく、変えないことがいいのでもない。
いいものは変えないべきだし、悪いのなら変えるべきだ」
変えるということは人間にとって非常に難しいことです。
習慣に従っていきていきたいのが人間だといえるでしょう。
変える、というのはその習慣を打破するものであり、人にとっては苦痛でしかない。
反発の大きいものなわけですね。
都合の悪いことを言われることでも苦痛なのに、さらに苦痛の伴う改革を行う。
自らを変えていく。
孫臏による孫氏の兵法もあるのでしょうが、これによって斉が強国となっていったという経緯が語られているくだりでしょう。
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