戦国策38、公孫竜が平原君に褒美を受け取るなという話
秦が趙を攻めた。
平原君は魏に向かって使者を出して、援軍を出させた。
魏の信陵君は軍を派遣し、兵が邯鄲に到着したため秦軍は撤退した。
虞卿(ぐけい)は平原君のために土地の加増を趙王に申し出た。
「一兵も戦わさず、一戟をも壊すことなく二国間の憂慮を解決したのは平原君の力によるものでございます。
人の力を使っていながら、人の功を忘れてはよろしくありません」
趙王はこれを聞いて、平原君の土地を増やそうとした。
公孫竜はこれを聞くと、平原君のところに出かけていった。
「平原君におかれましては戦車を転覆させたり敵将を殺したといった戦功もありませんのに、東武城におられます。
また趙の国内でも平原君以上に優れた人物は多くありますのに、相国という地位におられますのは趙王のご親戚だからです。
東武城に封じられても遠慮することがなく、相国の印を帯びても自分は無能だからと辞退することがない。
そして国難を解決するやいなや土地の加増を求めておられます。
封は王の親戚として受けながら、功は国民として受けることになります。
君のために考えますに、領地の加増は受けられないほうがよろしいと考えられます」
平原君はこれを聞いて「尊い教えを聞いた」と答え、領地の加増は受けなかった。
平原君についてはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%8E%9F%E5%90%9B
この話は昨日の話の続きになりますね。
信陵君と平原君は親戚かなんかの関係です。
で、おまえの親戚が危ないんだから援軍出せよと催促すると。
そうして信陵君は援軍を出したわけです。義勇軍が国軍になったのは昨日の話のくだりにあります。
・ということはこの時は既に長平の戦いで趙が大負けした後の話になります。
50万近くの兵が死亡した状態で、秦のしかも白起(はくき)という名将が兵を率いている。趙滅亡の危機ですね。
ただ、秦側の事情としては白起があまりに破竹の進軍を続けすぎていたので、宰相である范雎(はんしょ)はそれを恐れて秦王に撤退させた方がいいのではと告げているという事情もあります。
あまりにも白起が勝ちすぎると范雎が目立たなくなるし、影が薄くなる。
白起が勝って秦の領土が広がると困る人が出てくる、という秦内部の事情は深刻なものがあります。
実際にこれで撤退した後に白起は出所を断るようになり、謀反の疑いありと告げ口されて、死ねと命令され自害して果てます。
名将の死としてはあまりに寂しいものですが、こうしたところにある一種のバランス感覚の存在を感じ取らないわけにはいきません。
つまずいて死んだから名将ではないのではなく、むしろ名将であるからこそ生きててもらっちゃ困るわけです。それがまさかの敵ではなく味方の感想だってところがミソですね。
白起についてはこちら
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%B5%B7
・ついでにバランス感覚について。
この少し後に秦で王翦(おうせん)という武将が活躍します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E7%BF%A6
始皇帝である政の猜疑心の強さをよく知っており、うまく身を処していきます。これこそまさに処世術といってもいいでしょう。
まあこれは余談ですのでさらっと流します。
・この話、けっこう現代にも通じるところがあると思います。
戦国策にはちょくちょく予防、つまり先手を打って戦争がないようにするとか、何も起こらなかったけどでもすごいよね、という話が出てきます。
戦国策19 唐且が秦王に兵を出して魏を救っといた方がいいよという話
http://www.kikikikikinta3.com/article/459301700.html?1579736929
これなど結果的には何も起きてないわけですが、実際には戦争を防いだ唐且のすごさ、秦にいやでも援軍を出させる唐且のすごさがあります。唐且の事態を見る眼、見抜く眼のすごさがあると思います。
何も起きてないところがすごいと言えるし、それをすごいと評価しようとする編纂者のすごさもあると言えるでしょう。
でも、何も起きてないことをすごいということは実際には非常に難しい。
この難しさは現代にも通じるものがあると言えます。
「何も起きてないのに、なんで褒美をやるんだ」という目線が当時もあるということが読み解けます。贔屓(ひいき)だと思うわけだし、それに対する人々の不満があるわけです。
何も起きてないけどすごい、ということがいかにすごいかということを伝えるとか知ることがいかに難しいかということでもあるでしょう。
先手を打って事態を処することの重要性以上に、後手後手でもしっかり対処していれば「あーよくやってるわ」と人が評価するでしょう。つまり、その目線では当時も今もほとんど変わりがないと言っていい。
いや、むしろこうして戦国策を編纂している者がいるということは当時は少なくともそうした目線を持った、あるいは評価でき理解できる人間がいたことを意味しているでしょう。
その意味では、むしろ今の方が現実主義的になりすぎていると言えるのではないでしょうか。目に見える効果に動かされやすい。それは即ち目に見えないものを読み解き、それに意味を見出す方向性は薄れていると言ってもいい。
・公孫竜はそれをわかっていながら、平原君に褒美をもらうのはやめときなさいと言ったわけです。
「なんで何も起きてないのに褒美もらうんだ」という流れを説得することがいかに難しいか、そして一旦反感を持たれるとそれを御することがいかに難しいかを知っているからでしょう。
それは普段は何もなかったとしても、いざというときには防ぎようがないものとなります。普段は人々が我慢していた、でも危うくなると途端に人々を敵に回す結果に繋がりかねない。
褒美をもらうというプラスが、いざという時には身を滅ぼす結果に繋がる。いざという時に足を掬うマイナスとなりかねない。
そうしたバランス感覚の上に成り立った処世術がここに示されていると言えるでしょう。
白起が勝ちすぎて滅んだというそれと、平原君がこれを聞いて褒美を受けなかった例とは好対照です。
こうしたところは古典から学ぶところ大な気がしますね。
・公孫竜はずけずけと言ってますが、それを聞けた平原君も大したものだと言えるでしょう。
まあ公孫竜も言える人を選んで言っているというのもあると思いますが、目の前に出された褒美を受け取らないという方向性も重要ですよね。
遠慮ってのは知恵だなと思います。
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