戦国策37、唐且が信陵君に助言する話







 信陵君(しんりょうくん、本名を無忌、むき)は魏の将軍である晋鄙(しんひ)を殺害し、趙の都である邯鄲(かんたん)を救って秦の軍を破り趙を守った。
 趙王は自ら信陵君を出迎えようと郊外まで出かけた。その時、唐且(とうしょ)が信陵君に言った。
 「私は、物事には知る必要がないことと知らなくてはならないことがあり、同時に忘れてはならないことと忘れなくてはならないことがある、と聞いております」



 信陵君
 「それはどういう意味でしょうか」
 唐且はこれに答えて言った。
 「人は自分が人から憎まれていることは知っていなくてはなりませんが、自分が人を憎んでいることは知る必要がないことなのです。
 人が自分に親切を施してくれたことは忘れてはなりませんが、自分が人に親切を施したことは忘れなくてはならないのです。
 今、我が君(信陵君)は晋鄙を殺し、邯鄲を救い、秦軍を破り、趙の国を存続させました。これは大きい徳を施されたのです。
 今、趙王が自ら郊外にまでお出迎えをされています。こんなことは思いもかけないこと、として趙王に会うべきです。
 この臣下は、我が君が施した恩を忘れになることを願うのです」
 信陵君
 「よい教えを伺いました」



 信陵君についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%A1%E9%99%B5%E5%90%9B
 
 晋鄙についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B%E9%84%99
 


 ・この時の魏王が安釐王(あんきおう)であり、この王は信陵君の兄であるようですね。
 この話の前に、紀元前260年ごろに長平の戦いがあり、趙軍は秦軍に大いに破られます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B9%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

 これで戦死者45万人とありますが、とにかく趙はこれで戦力が大幅にダウンして国が傾いているわけです。
 で、趙がさらに秦に追い打ちをかけられて危うい中、これはいかんと魏から趙へと援軍を出すと。食客とともにいわば義勇軍として行こうとしていたが、そこでこのままでは犬死です、国軍を連れていくべきですと言われて信陵君はそれに従ったというわけですね。
 でも晋鄙将軍はそれにOKしないと。
 なので信陵君は晋鄙を殺害した上で魏軍を連れて趙に行き、秦軍を破ったということですね。
 この話にはそうした前提があります。



 ・唐且は以前にも出てましたが。
 戦国策19
 http://www.kikikikikinta3.com/article/459301700.html?1579673970

 ここでは4つのことを信陵君に説きます。
 ①知っていなくてはならないこと→自分が人から憎まれていること
 ②知らなくてもいいこと→自分が人を憎んでいること
 ③忘れてはならないこと→人が自分に施した親切
 ④忘れてもいいこと→自分が人に施した親切
 このように大別できるでしょう。
 
 
 すなわち、
 ①②より信陵君が晋鄙を殺害し、その残党に憎まれていることは知っていなくてはならないし、
 ③④より自分が趙のためにしてやったことは忘れた方がいい、ということを唐且は言おうとしているのだと思われます。
 結果的に見れば、信陵君は秦軍の工作→晋鄙の残党→魏王への讒言によって失脚をすることを思えばこの指摘はかなり正確なものがあったといえるでしょう。
 ただ、晋鄙の残党を秦軍が利用するということ、そして晋鄙の残党が魏王に告げ口をすることなどは、いくら信陵君が優秀で切れ者だったとしても恐らくそう簡単に予測はできないといえるでしょう。
 恨みや憎しみ、そうした感情が現実において一体具体的にどのような形で降りかかってくるか、ということを予測することは非常に難しいことです。その場その状況に応じて臨機応変に変わり得るものだと言えるでしょうし、変化して最も効果的な場所で効果を発揮する、その変幻自在な様子はそう簡単に対処できるようなものでもありません。
 まして、魏王が猜疑心(さいぎしん)が強かったり、魏王である自分以上に高名で有名である信陵君を疎ましく思う心、そうしたものが最終的にあるのだとすれば、どのような手を使っても身に降りかかる災難を払いのけることは困難だと言えるでしょう。
 その意味では①における「自分が人から憎まれていることを忘れてはならない」というのは非常に鋭い指摘をしているように思います。


 長平の戦いによって趙は滅亡寸前まで追い込まれたでしょうが、だからといってそれを救出して恩着せがましい物言いをして反感を買ったとするなら、秦兵の工作はするまでもなく趙の側からも進んでいた可能性もあります。
 つまり、恨みを買わないとか、施した恩を忘れるということは無形の恨みなどの感情を避けるというかなり具体的な力があると言っていいものだと言えるでしょう。



 その意味では、「いやー大したことしてないっすよ」
 と言う謙遜、それというのは単に本当に大したことしてないですよということを表すこともあるでしょうが、そうした姿勢そのものが災いを避けるということを決して軽視できないし、そうした現実的な効果を決して侮ることができないということも表しているように思います。
 唐且はこの助言によって、信陵君に趙の側に隙を作らせないことに成功していると言えます。
 それは効果としては無形です。
 でも実際にはこれが果たしていた効果というのは侮りがたいものがあるように思います。






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