戦国策36、汗明が春申君に会って話をする話







 汗明(かんめい)が春申君(しゅんしんくん)に会った。
 三ヵ月待ってようやく会うことができたのであった。
 話が終わって春申君は大変に喜んだ。汗明がさらに続けようとするが、春申君は言った。
 「私は先生というお方をもう十分よく理解致しました。先生は休息してください」
 

 それを聞いて汗明は悲しそうな顔をして言った。
 「我が君は、我が君の聖徳がかの堯(ぎょう)と比べてどちらが勝っているかをよく存じ上げておられないように思います」
 春申君はそれを聞いて言った。
 「先生は間違っておられる。この私などかの堯に比べるまでもない」
 汗明は言った。
 「ならばこの臣下は舜(しゅん)と比べていかがでしょう」
 春申君
 「先生はかの舜そのものかと思っております」


 汗明は続けた。
 「違います。
 説明させていただきましょう。
 我が君の賢明さは堯には及びませんし、この臣の能力は舜に比べるまでもありません。
 賢明な舜でさえ、聖なる堯に仕えて三年でようやく互いのことを知ることができたのです。
 今我が君はほんのひと時で臣を理解されました。
 これは即ち我が君は堯以上に聖徳があり、私は舜以上に賢明であることを意味するものです」


 春申君はこれを聞いて「なるほど」と言い、書記官を召し出して、汗明の名を賓客の列に連ねさせ、五日に一度会うことにしたのである。



 ・春申君についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E7%94%B3%E5%90%9B
 楚で働いており名を黄歇(こうあつ)というようです。
 若いころは大国の秦を相手にいろいろなことをし、その頭の巡りの良さと度胸の良さを秦の宰相范雎(はんしょ)にも買われています。そしてその功績を認められて春申君となったと。
 老いてからは悲惨で、騙され殺されて一族皆殺しに遭った人物であると。



 「身ごもった女を王に差し出してしまえば、その子が後を継いで楚はあなたのものになります」
 これを真に受けるということでは忠義もないし利益には突き動かされているし、楚のために一命をかけたことなど見る影もないようです。



 ・汗明についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%97%E6%98%8E
 弁舌に秀でており、「塩車の憾み」(えんしゃのうらみ)あるいは「驥 塩車に服す」(き、えんしゃにふくす)ということわざの語源になったと。「素晴らしい人物でも用いられてナンボ、用いられるべき場所に行ってこそその真価を発揮できる」という意味のようです。



 ・堯舜禹(ぎょう・しゅん・う)についてはこちら
 http://kohkosai.com/kaisetu/16-goteidensetu.htm
 この話では、要するに聖帝が古代にいましたと言いたいってことのようです。

 堯についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%AF

 舜についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9C

 禹についてはこちら
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B9
 まあここでは余談なのでさらっと流します。



 ・さて。
 春申君が若いころは英断→老いたら決断力が鈍り一族皆殺しに遭ったこと。
 汗明がこう言って春申君に仕えたが、春申君の悲劇を止めることはできていないらしいこと。
 できてはいないんだけど、どうも汗明の言葉を受けて、しっかり理解したうえで汗明を重用することを決めていること。
 ここらへんを踏まえても、残念ながら浮かぶものが特にありません(笑)



 ・戦国策としては、汗明が自分を売り込むのが非常にうまいなってことを言いたいのかもしれません。張儀や蘇秦にしても現代に通じるくらい話がうまいし、汗明も言いたいことは非常によくわかります。時系列とか時代背景とかそういう踏まえるものとかなしで、ただうまいよねってことを言いたいだけなのかなと。話に説得力がある。そういう解釈はありなのかなあと。
 あるいは、春申君はそそのかされて殺されたことになっているけどこの話を聞く限りはしっかりとした理解ができている。そこから通説の老いて決断力が鈍った春申君像を疑うことはできるかもしれないし、もう少し違った事情について言及したい流れはあるのかもしれない。



 まあ一番妥当なのは、汗明は弁舌がうまいよねってことを単に言いたいだけかもしれませんね(笑)









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