蘇秦は趙のために合従策を立て、韓王に説いた。
「韓は東西南北に渡って固く、土地は四方千里、兵は数十万、天下の弓や弩はみな韓より産出されております。それらの中の名品は六百歩以上もの先を射ることができます。韓兵がひとたび射たならば、百発の矢はあっという間に放たれ、遠くの者は胸を貫かれ、近くの者は心臓を串刺しにされます。
韓兵の用いる剣や戟(げき)などは皆冥山(めいざん)より産出されます。たくさんの剣は皆名品であり、牛馬や大鳥を切ることなど容易く敵に向かえば固い備えも容易く切り裂きます。
韓兵の勇猛さに加えて強弓や強弩もあり、さらには鋭利な剣もあるとなれば一人の兵で百人に当たることなどは容易いことは言うまでもありません。
こうした韓の強さと、王の賢明さをもってなんと西の秦に仕えて秦の東の盾となり、秦王のために宮殿を築き、服従なさろうとなさっています。これだけの強さがありながら秦に服従なさろうというのは、天下の物笑いとなる最たるものであると言えましょう。王におかれましてははかりごとをしっかりとお立てになるようお願い申し上げます。
もしも王が秦に服従されましたら、領土の割譲を求めてきましょう。今年それを献上されましたら、また翌年には新たなる土地を割譲せねばならなくなります。そうするとすぐに与える土地は無くなり、無くなったからと与えないとなればそれまでの積み重ねはムダとなり、恨みを買ってさらに災いを受ける羽目になります。
韓の土地には限りがありますが、秦王の欲望には限りがありません。有限の土地で無限の欲望に応えるのはいわゆる『恨みを買って災いを買う』ということになるといえるでしょう。戦いもしないのに土地はなくなっていくのです。
私はことわざに『鶏口となるも牛後となるなかれ』というのを聞いております。秦に服従するのは牛の子分になるのと違いがありません。王は賢明であり、韓は強国でありながら秦に服従するというのでは、王にとっては非常に恥ずかしいことなのではないかと思う次第です」
韓王は怒りを表し、剣に手をかけ、そして嘆息して言った。
「例え殺されようとも、秦に服従することはできん。今そなたに趙王の教えを頂いた。謹んでそれに従おう」
・史実、というより十八史略に従った方がここでの解釈は容易くなるようなのでそれに従って読んでいきます。
燕の宰相となった蘇秦は合従策で燕と趙との同盟を実現させます。
趙は隣が秦で脅かされいるのですが、燕と同盟を組めば秦は燕を嫌って趙に攻めてこないはず。それは助かると趙は燕と同盟を組みます。蘇秦はこうやって合従策、つまり秦以外の六国を同盟させることで一大強国である秦に対抗しようとする、というのが合従策です。
で、燕と趙との同盟を実現するわけですがその次は魏、その次がこの韓だと思っていいのかなと。魏をすっ飛ばして韓というのは少し考えにくいように思います。
実際のところ韓は弱小国です。
それをおだてにおだててあたかも秦と同等かそれ以上に強い国と認識させようとする、というかしてしまったところに蘇秦のすごみがあるといえるでしょう。実際には秦の始皇帝によって六国の中で真っ先に滅ぼされたのが韓です。あまりに強い秦の隣に位置していたのが不幸だったと言えるでしょう。
隣に圧倒的に強い秦があり屈服させられていながらも、おだてられればその気になって秦と決別することを選ぶ。非常に恐ろしいことだと思いますが、それができる蘇秦のすごさがよくわかる話だといえるでしょう。
・合従策は秦に対抗するために蘇秦が燕を中心として六国をまとめあげた、というのは世界史とかでも出てくる内容ですが、実際のところは少し違っていたようで。
燕は斉に恨みを抱いており(この点楽毅がいた時代とあまり変わっていないようです)、六国をうまくまとめあげた蘇秦は最終的には五国をうまく操って斉を攻めることに成功しているようです。
各国を連合させて斉を攻めることといい、そもそも燕が斉に恨みを持っており、その恨みを晴らさせるように事態をうまく推移させることといい、蘇秦の考えていることは楽毅と非常によく似ているように思います。それは必然というか、燕の王室が長いこと東の強国である斉に対し恨みをもっていたこと、そしてその恨みを晴らすべく優秀な臣を集めていたことと深く関係していると思います。
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