張儀は秦のために各国の合従を破って連衡を実現しようとして、楚王に説いた。
「秦は領土は天下の半分を占めており、兵力は燕、趙、呉、楚を合わせた規模に匹敵します。
山に囲まれ河に囲まれて、天然の要害となってもおります。
虎のように勇猛な兵は百万余り、戦車は百乗、騎馬は一万、糧食は山のようにあります。軍律はよく行き届いており、命令のためなら兵卒は喜んで命を捧げます。
君主は威厳があり賢明。
将軍は知略もあり勇猛、今は兵を出さないだけのことであり、いったん出せば天下を席巻し、あたかも天下の背骨を折るが如しでしょう。したがって秦に後から降ろうと思うものは先に滅びることでしょう。
そもそも合従によって秦に敵対することは、あたかも羊の群れによって虎に襲い掛かるようなものです。虎と羊とでは戦いになりませんのに、王は今虎と手を組もうとはせずに羊と手を結んでおいでです。私は、王のお考えは間違っているのではないかと思います。
今天下の諸侯が手を結んでおりますのは、蘇秦の考えによるものです。蘇秦は燕によって武安君に封ぜられて、燕の宰相になりました。そうなるとすぐに燕王とともに斉を破って土地を分割しようという計画を立てました。そこで燕で罪を犯したと偽って斉に入り、斉の方ではそういうことならと蘇秦を宰相に据えました。
そうして二年が経つ頃には計画が露見し、斉王は大いに怒って蘇秦を車裂きの刑に処しました。蘇秦は嘘偽りの多い男であり、そんな男が一人で天下を回し諸侯を合従させようなどと言ってもうまくいかないことは明白だと言えます。
楚と秦とは、領地は接しており、今の情勢を見ても仲良くしておくべき国同士だと言えます。
王が私の言うことをよく聞いてくださるのでしたら、私は秦の太子を人質として楚に送り、楚の太子が人質として秦に入るように取り計らいます。また秦の公女を楚王の妾とし、秦の戸数一万を楚の領地とし、両国が兄弟の国となるように取り計らいましょう。私の考えでは今の楚ではこれに勝る良い手はないと考えます。
そうであればこそ秦王は国書を持たせた使者をこうして楚王のもとへ送り、楚王の意向を待っているのであります」
これを聞いて楚王は、
「その国は辺鄙な田舎であり、国は東海の方に片寄っている。私が合従の策に従ったときはまだ年若くして国にとっての長久の策を立てるには未熟であった。
今貴殿は幸いなことに秦王による素晴らしいはかりごとを教えてくださった。これに国を挙げて従おう」
そこで車百乗を遣わし、様々な宝物を秦王に贈ったのである。
基本的に張儀か蘇秦が出てくる話は、あーまた手玉に取られとるわ、とか。
もしくはやはり張儀たちは非常にうまいなと思わせる感じがメインになるなと思うわけですが。
それ以上がなんかあまり浮かぶ気配がありません(笑)
うーんまあ、またいろいろ別に勉強してみましょうかね。
蘇秦は最近の研究で張儀より後の時代に活躍した人物だということが明らかになったそうですが。
こうしてみるといわゆる小説や伝記の方の蘇秦像がメインになっているという感じがあるのかなと。通説と言いますか。で、そうして蘇秦と張儀とを並べて語られた方が話として面白い、というのはあるのかなと思いますね。
20200118追記
・なるほど。
この話は何がメインかと言えばまずすでに蘇秦が死んでいること。そして屈原(くつげん)も死んでいるということですね。それが念頭に置かれている。
屈原は楚の中でも反秦反張儀の先鋒といった人物で、この人は楚がうまく丸め込まれていくのを苦々しくおもっているわけです。秦は楚よりも圧倒的に強いわけですが、それでも下につくのはいやだと。斉となら国力が同じくらいなので、斉と組んでおけば秦に対する脅威となり得る。実際に秦としては斉と楚との同盟を切りたいと思っているし、それさえなんとかなれば後はどうにでもなると思っているわけです。
で、この話はすでにその屈原が遠ざけられた後の話ってわけです。既にストッパーを失った楚を前にして、事態は張儀にとっていいように推移していきます。
そして斉と楚との同盟が切られて、秦と楚との同盟が実現するといういわば歴史的な瞬間ってわけです。
・斉と楚との同盟が切れるわけですが、そして秦と楚との同盟が成立しますが、秦は六百里の土地を楚に与える、と約束しています。ところが六里しかこなかった。
話が違うのでは? と言うと、秦の方では知りませんとなる。
激怒した楚が秦に戦いを挑むのですが、大敗して楚は滅亡寸前まで追い込まれます。
この話はその歴史的な転換点に張儀という男が居合わせた。そして屈原亡き後の楚を手玉に取っていく。その寸前を切り取っているということが素晴らしいということですね。
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