枠組みによる限界






 人ってどうしてこう頭がかたいというかムリできないととりあえず言うんだろう、というのがここんとこの疑問。
 こうこうこうだからできない、こういう制限がかかっているからムリというのはまだ具体性がある。ところが、ありもしないようなハードルや障害物を出してムリという場合もある。それって単にめんどくさいの代わりだよねという場合もあれば、それで失敗したら労力がもったいないというような話だって出てくる。結局のところ、人は枠組みによって縛られている。常識とか労力なんてのは二の次で、やる意味がわからない、やるだけムダ、やっても仕方がない、やって失敗したらどうする、その場合引っかかっているのは常に枠組みであり、枠組みに引っかかっている、枠組みを突破できていないことがそれをさせていないわけだ。
 つまり物事をするって場合に、そもそもその枠組みを突破できるか否かが明暗を分けている。突破できないということは枠組みから出たくないということでもあり、出たくない以上やる必要もないという話になる。結局のところ、常識だとか成功失敗だとかいうのはおまけであって、おまけに過ぎず、枠組みから人が出ることができない問題の方が先に来る。枠組みから出ないほうが人にとっては快適であり、快適である以上、さらに快適かどうかわからない地点へと進むことは人にとっては困難になる。恐らくプログラミング的思考の最も言いたいことはこの枠組みの再編であり、それは破壊や統合によって枠組み自体を変えてしまうことを意図しているし、そもそも枠組み自体を対象化して認識できることを意図しているのかなと思う。恐らく、枠組みに対する認識があるかないか、それを変えることによるショックがあるかないか、慣れているかどうなのか、そうしたことをできるかできないか、という風に世の中が推移しているんじゃないかと。頭が柔らかい、受容できる、そうした漠然とした言葉で言い表されてきたものが、恐らく具体的なプログラミングによっての枠組み再編、統合、破壊、そうしたことによって表される世の中になると思うし、今現にそうした世界の過渡期にあるといえるのではないだろうかと。















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