徹底的に噛み砕かれているかいないか







 勉強とかしていても頭には入って時には理解さえできているのに、実際に用いることは難しいということがあったりする。その逆で用いることは容易くても理解や把握ができていないことがあったりする。結局言えることはつまりこの二つは全くの別物で、それにはそれ用の意図や工夫をすることが必要ということなのだろうと思う。インプットとアウトプットということに集約されるかもしれないけど。
 前者としてはテストしてみていい点が取れた、だとしても実際にじゃあそれつかって何かやってみようとなると意外とそっちについて知らないことがよくわかったりするものだし(頭でっかち)、後者については日ごろ普通に扱えているはずの日本語を分析を始めると全く手に負えないというのが当てはまると思う(勉強できない)。インプットとアウトプットがいかに別物かということでもあるし、つまり我々の日常というのは意外とアンバランスにできているけど、しかし意外とそれでもうまくやっていけるし実際にあまり問題は起こらないわけだ。
 ところがいざアウトプットのレベルを上げようとか、インプットのレベルを上げようというときに出てくるのはこのアンバランスさだったりする。インプットのレベルを上げようと思ったとしてもアウトプットのレベルが全然追い付いていない。そしてアウトプットのレベルを上げることでバランスをよくする、それが全体のレベルを上げることにつながるし、その逆もあるというわけだ。結局問題の根はここらへんにあるんだなと。それというのは国数英社理をバランスよく毎日勉強する、的な意味のバランスとは全然違っていて、いっそ一日かけて徹底的に数学をやり通すとか。そういう一見ムチャクチャなことを通して積み上げられて初めてようやく成立するバランスという気がする。
 つまり、人間のバランスは全然アンバランスだけどそのバランスの悪さを解消しようとするにはちょっとやそっとの努力では解消されない。並大抵の努力じゃあ追い付かないわけだ。じゃあ机にかじりついていさえすればいいかといえばそれも違ってて、おそらく固い(難い)内容をいかに噛み砕いていくかが非常に重要になる。頭でっかちなものを一度バラバラにし徹底的に分解し具体的なうえにさらに具体的に引き伸ばす。そして分解されたものを基にまた新しく組み立てていくわけだけど、その組み立てられた形というのは千差万別で、言ってみれば与えられた粘土で自由に何か作ってくださいと言われて恐竜とか鳥とか魚とかを粘土を使って作っていく形に非常によく似ていると思う。


 いや、これは感想ですけど。
 このブログも結局孫子とか三十六計とかのお題(粘土)を与えられて、必死こいて作った「恐竜」を提示しているだけのことかも知れないなという話(笑)


 だから、粘土をこね上げて何かを作る→徹底的な具体化と、具体的に作った恐竜をまた粘土のかたまりに戻す→徹底的な抽象化っていうのは個別の具体的な作業でありながら思ったよりブログ作成とよく似ているなあという話(笑)
 多分最後に粘土いじったのは小学生だろうけど(笑)










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