戦国策25、建信君が呂不韋への不満を口にする話
希写(きしゃ)が建信君(けんしんくん)に会いにやってきた。
建信君「文信候(ぶんしんこう、呂不韋のこと)の態度は大変無礼だ。秦は人をよこして強引に仕えさせようとした(礼儀がなく、ぞんざいだった)、だから私は彼を丞相にするよう、五大夫の爵位を与えるように働きかけてきたものだ。ところが今の文信君の私への態度は、酷いこと甚だしい、全く無礼だ」
希写はこれに答えて「私が思いますに、今の世の事を用いる者は商売人に及びません」と言った。
建信君はそれに腹を立てて言った。
「そなたは事を用いる者を卑しんで、商売人を尊ぶのか」
希写「そうではありません。
優れた商人は、人と売買するその値段を争うのではなく、じっと時を待つものです。相場の安い時に買えば、高いものでも安く買えたことになるし、相場が高い時に売れば安物でも非常に高く売ることもできるのです。
その昔、周の文王は羑里(ゆうり)に囚われ、武王は玉門に繋がれましたが、最後には紂王(ちゅうおう、殷の王)を首を取り、太白の旗の下にかけましたが、これは武王の功績です。
今、建信候は文信候と張り合っておられますが、権謀術数をもって対処することができずに、ただひたすらに文信候の非礼ばかりを責めておいでです。
私はこれを建信候のためにならないことだと思っております」
・呂不韋については前回、こちらに書いてます。
http://www.kikikikikinta3.com/article/459748237.html?1577158270
まあ、一年半以上前なんですが(笑)
子楚さんという人が趙にいて、言ってみれば人質になっていたわけです。これが後の荘襄王(そうじょうおう)というわけですが、この人に目をつけたのが呂不韋だと。でいろいろ根回しした末にとうとう王になって、これが「奇貨居くべし」と言う言葉になったという話ですね。
珍しいものがとんでもなく値上がりするかもしれない。
だから得難いものは逃すことなく好機に繋げていこう、うまく利用していこうというような意味ですね。
で、この話は明らかにこの話を踏まえた話になっていると思われます。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BA%E4%BF%A1%E5%90%9B
残念ですが、建信君について書かれたものが中国語のものしか見当たりませんでした。
日本ではかなりマイナーな人なんですね。
建信君は子楚さんが人質だったその趙の国の人です。宰相か何か(相邦という最高の地位らしいです)で非常に高い地位に就いていたという話ですから、まあ子楚さんが王として秦に戻るにあたって、いろいろやってやったのだろうと考えられます。
子楚が趙にいるときに悪いようにしなかったし(別にいいこともしなかったでしょうが)、王となって秦に戻るにあたっていろいろやってやったし、さらには呂不韋もどうせ高位にのぼるんでしょといろいろやってやったんだろうと思います。働きかけてやった。
そうした流れがあったのに、呂不韋は文信君となった後に何もしてこないぞ、おかしいだろ、礼の一つもよこせよと言いたいのがこの建信君だと思っていいと思います。
で、それを聞いた希写が言ったのが「当世の事を用いる者は商売人には及びません」と。
「事を用いる者」はテキストでは政治家と訳されてますが、国の中枢でいろいろ考えたり計画を練ったりする者だと思っていいのかなと。大臣とか宰相とか、そこらへんになるかと思います。
これを聞いて建信君は、オレを商売人以下とみなすのかと怒るのですが、いやいやそうではありませんよと言いますが、まあ言ってることはその通りですけどね(笑)
呂不韋はもともと商売人です。それが今や秦の文信君となっている。
人質時代の子楚を見抜き、情勢を見抜き、様々な手を打ち、とうとう王位に就けた。それが呂不韋です。
その先見の明たるや、単なる一商売人とみなすにはあまりに凄まじいものがあると言えます。先見の明だけではなく大局的な目線、実現化するための行動力、そして具体化する能力。すべてが非凡です。
方や、趙の国です。
その後の王となる人物が手元にいたのに、特段悪いことはしなかったにせよ、いいことも別にしてはいません。
質素な暮らしをしていたが、まあ当時としては普通の事だからと放置。そして呂不韋の力によって王になるわけですが、王になったからといろいろ手を打ってやったのにと後で不満を漏らすと。
でも本当に何か効果のある手を打てるなら、具体的にそういう手を考えているならそもそもそういう不満を漏らしたり、それで発散して満足、ということにはならないはずです。
先見の明のなさ、大局的な目線のなさ、実現化への行動力のなさ、そしてそれらを具体化する能力のなさ。
比べるまでもないですが、呂不韋と比較すればより明らかにあると言えます。当時の趙の首脳部のこうしたもののなさ。そして「やってやった」ということがいかに後手後手なものか……
そしてそうした具体的なものがないがために、不満を漏らしては発散するしかない。
この時点でもうとどめを刺されたに等しいほどのインパクトがあります……(笑)
建信君のためにならないというのは、こうしたことを踏まえた上で、さらには秦と趙との国力を比較したうえで「あなたと呂不韋とでは残念ながら相手になりません」と暗に告げているものだと言っていいでしょう。
そして非礼だ非礼だと言う事が国力の圧倒的な秦ににらまれかねないことでもあると。
もう趙の人質であった子楚ではなく、秦の荘襄王であること。
一商売人であった呂不韋ではなく、文信候であること。
こうしたことを踏まえていない、情勢を認識できていないこと。
まだ人質や一商人とでも思っているがために、平気で不満を言えること。
その不満が文信候に聞こえた際には、建信君のみならず趙の国が危ないということ(それを読み解くだけの先見の明も建信君にはないこと)。
短い話の中からこうしたものが読み取れるといっていいでしょう。
本当に具体的な解決能力があれば、そもそも不満を漏らす必要すらないわけです。
希写という人は従って、
・呂不韋と建信君の能力ややってきたことの比較ができている
・秦と趙との国力差が比較できている
・その上で、少し無礼だが建信君の「不満」に釘を刺している
という事が言えるでしょう。
そしてその不満がもし文信君に伝わったとしたら? その意味での警告をするものでもあるのかなと。
事実、この次の王は後の始皇帝になる政で、早い段階で趙は秦に滅ぼされることになるわけです。
この話でもし教訓になるものがあるとすれば、
①希写の比較能力や比較の方向性
②建信君の不満を、それが無礼であっても諫めること
③そして不満が漏れた際の趙の危うさを指摘すること
などになるのでしょうかね。
また過去分を読み返してみて、なんかあったら改かなんか書いて追記していこうと考えています。
この記事へのコメント