走為上(そういじょう)……「走るを上と為す」
→(今まで列挙してきた計でもうまくいかない時は)逃げるのが最上である。
・解説……軍を保全したまま敵から逃げる。退き(しりぞき)いかにも劣って見えるが罰を受けることがない、というのは軍規を乱してはいないためである。
・解説の解説……これも『周易』より。
「左き次る」(しりぞきやどる)を「左に次る」(ひだりにやどる)とする場合は丘を右後方に配置し、つまり丘の左前に布陣すると。そして低地の敵に向かって迫れ、という意味もある、周易ではそういう意味だということですが。
わたしはこの意味にけっこう賛成です。
敵に敵わないとみればしりぞいていったん逃げて態勢を立て直して、迫りくる敵に備えろ。つまり再起を図れと。逃げるというのもただ潰走するというのではなく、次のチャンスをうかがう意味合いがある。
なさそうなら徹底的に逃げる。起死回生の手がありそうなら留まる。
勝ち目がないから逃げるわけですが、逃げることによって状況が開ける場合もある。だとすれば逃げることも好手だといえるし、それを活かして敵を叩くという方向性もあると。
つまり逃げることがそのまま活路になることもある。
韓信にしろ、諸葛亮にしろ(史実では諸葛亮は用兵があまりうまくないそうですが)、兵を逃がす、追ってきた敵を伏兵で囲み徹底的に叩くというのをよくやっています。逃げることを戦争の常套手段にして、壊乱したように見せかけて敵を罠にハメると。
ここには戦術的な逃げという手があるといえるでしょう。
曹操にしろ、劉備にしろ英雄は逃げるのがうまいですね。徹底的に逃げて逃げて逃げまくる。逃げて再起を図る。機が熟すまで待つ。そして最終的には勝つなり皇帝になるなりしているわけです。ここには大局的に逃げの手があると。
つまり徹底的に逃げて再起を図る方向性と、逃げることも価値のための布石にみなして逃げの一手に意味を持たせる場合があるともいえるのではないかなと。
一方で、呂布などは逃げるのがヘタですね。
勢いに乗っていると強いですが、追いつめられた時にどうするか。城を捨てて再起を図るとか。そういう方向性が非常に苦手です。
つまり、
①うまくいっている時にさらに勝ちを掴む
②うまくいっている時にほどほどにする
③うまくいかない時にそれでもあきらめない
④うまくいかない時に潔く諦めて逃げる
こういうのがあるのかなと。
①はけっこう普通ですね。誰もけっこうこれなのかなと。やりすぎて疲れ果てたりしてせっかくの勝ちを不意にする。そういうのがあると思います。
②は結構難しいですね。
呉王闔閭は越王勾践を追いつめますが、殺さない。
ところが後で勾践はその息子である夫差(ふさ)を追いつめ、殺害します。ここで部下が言ったのが「天が授ける恵みを受け取らない者は災いを受けると申します」と。夫差は勾践を殺害できる機会が多くあったのに殺さなかった。そして災いを受けて追いつめられたのだと。それを聞いた勾践は、夫差を敢えて許さないことを決断し、夫差は自害して果て、呉は滅ぶわけです。
かと思えば、曹操は「隴(ろう)を得て蜀を望む」と言っています。
隴(ろう、今の四川省の北の土地)を攻めとった時に、司馬懿が「このまま蜀も攻め入っては」と進言したところ、こう答えたと。欲望にはキリがないのでここで満足しようというわけですが、ちょっと曹操らしくない答えだといえるでしょうね。
思うに蜀に攻め入れば軍はさらに遠征で疲弊すること、蜀は山岳地帯で非常に攻めにくいこと、そして司馬懿が後に魏を乗っ取ることを踏まえても魏をここで疲弊させておきたいような意図が見えること、そして曹操が司馬懿のそうした思いに薄々気付いていることなどが挙げられるでしょう。
つまり、うまく行っている時にどこでセーブできるか。さらに結果を追いかけるか、それともやめておくか。どういう利用でどういう判断をするか。その判断というのは、その人がけっこう問われる部分だと思ってもいいのではないかと思います。
③ですが、いかにも諦めるな! 妥協するな! という日本人らしさが見えるところですが。基本的に城を守る将軍は劣勢であっても諦めず戦い抜くことを決意しますし、曹仁や張遼などの名将はそうして劣勢でも勝ったりしてますが、基本的にあまりいいことだとは言えないでしょうね。ムリせず勝つ、そもそも無茶な戦いは戦わない、そうした状況に陥りそうならそれを避けるとか、予め準備するというのがあるわけですから。
それでもたまには戦わないといけない場合がある。そうした時に名将は輩出されてきたのかもしれませんが。
で、④ですが。
劉備にしろ曹操にしろ、あるいは劉邦にしてもうまくいかない時は徹底的に逃げまくることが得意です。
そこには単に逃げるだけではなく、状況を読み、劣勢であれば逃げるし優勢であれば戦うという至誠があるといえます。つまり状況をよく見る目がなくてはそういう判断ができないし、仮にそういう目があったとしても戦うことや名誉に固執して死ぬ事を選ぶ場合も少なくはありません。というより当時としては死んでも美名を残すという価値観がかなり強く、逃げ回る事を恥だとみなす風潮もあったわけです。
魏に于禁(うきん)という名将がいますが、彼は関羽に水攻めを受け軍勢は壊滅し、降伏しました。ところがそこで蜀の捕虜になったかと思えば荊州が呉に奪還され今度は呉に行くということになりました。その後魏に帰ることになりますが、魏に帰ると曹丕が丁重に出迎えます。ところがある時に于禁を「命を惜しみ降伏した男」と中傷するものを見せられ、激怒と恥ずかしさのあまりに憤死したという話があります。
うまく逃げて命は助かったのに、末路は悲惨だという例ですね。
命は助かったのだからいい判断だったとは言い切れない。
名誉を失い、信用を失い、それまでの戦功全てをフイにしてしまった例だと言えるでしょう。それまでは魏の名将として有名だったのに、臆病者として歴史に名を残してしまった。こうなると逃げるのが本当にうまかったのかどうか、ベストだったのかどうかとも思えたりもしますが。まあこういう例もありますということで。
そういう例も踏まえた上で、逃げることの意味がどのようなものか、どのような意義があるのか、うまい逃げとはどのようなものかをこれからも詰めていきたいところです。
今回で一応三十六計は終わりです。
実は「三十六計逃げるに如かず」というこの逃げとはどういうことかを考えたかったのでずっと書いてましたが(笑)
これ「三十六計とかいろいろな計が三十六個もあるけども、それ全部無視して逃げるのが一番いいよ」という意味合いだろうなとずっと思っていたのに「三十六計の中でも逃げるという手がベストである、つまり三十六個目がベストの手である」
という事が言いたかったんだなと改めて気付かされて、けっこう驚きでしたね(笑)
まあまだ複数個を合わせて考えるとかしてませんし掘り下げてもいませんし、いろいろやっていこうと思っていますが。
思いついたりして追記したら、「改」とか「改改改」とかにしていこうと思っておりますので。今後ともよろしくお願いします。
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