タクティクスオウガ㉖プランシーの最期






 プランシーが今際の際にデニムに語るのは三つである。
・カチュアの出生の話
・兄ブランタの話
・人生の話、選択肢の話
 特にここで注目したいのは三つ目の人生の話である。



 プランシーはカチュアの母親がマナフロア、父親がドルガルア王であることを告げる。正妻ではないマナフロアとの間にカチュアができちゃうわけで、ドルガルア王の出来心、これけっこうヤバいやつだよなあと個人的には思うが、それを言っちゃあおしめえなので(笑)ここでは割愛する。
 まあこの浮気によって戦乱が静まる方向性が生まれたわけだから……浮気しててくれてありがとうとは言えないと思うけど(笑)



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 そしてマナフロアは死に、生まれた娘をプランシーは連れてくる。

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 ブランタは来月には王妃にも子どもが産まれる。
 余計な混乱を引き起こさないためにも、プランシーがその子を引き取るべきだと告げる。
 

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 しかしブランタはプランシーを欺いていた。
 この一件を利用し、ブランタは王妃に取り入って司祭の地位を手に入れることに成功する。
 しまった、ブランタに騙されたと思っても、最早後の祭りであって。
 ブランタの野心のためにプランシーは利用されたのである。




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 ここで語るのはプランシーの正論だと言える。
 非常に正しい。
 そうしていれば戦乱は防げたはず。
 当然たくさんの人が戦争で死ぬ事もなかっただろう。
 しかし、その正しさを貫くまでにプランシーは強くはなかった。
 非情になり切ることはできなかったのである。

 
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 ここにあるプランシーの葛藤は凄まじいものがあるといえる。
 世界平和のために自分の娘を引き換えにしろというのか、手放せというのか。
 そんなことができるのか。
 博愛のために、世界平和のために生き切るには、あまりにもプランシーは父であり過ぎた。
 他人の子だと割り切るには、あまりにもカチュアは尊い存在であり過ぎた。


 しかしカチュアの父として生きてしまったプランシーには、凄まじい後悔と自責の念が訪れることになる。
 自分は戦乱を、混乱を解決する方法を知っていた。少なくともその方向性は知っていた。
 知っていながらそれをしなかった。選ばなかった。選ぶことができなかった。選び取るだけの強さがなかった。
 結果としてこの島の平和は破られ、たくさんの人が死に、路頭に迷う事態になってしまった。


 もしカチュアを王の下に差し出していれば、今頃……



 この後悔というのは、カチュアを王に渡すというプランシーにとってできもしない話を前提にして成り立っている。
 できもしない、しかしできていれば、でもできるはずもない。
 すべきことがわかっていながら、しかしできないのである。
 非情に徹し切るにはあまりにも父であり過ぎる、でも父という立場を捨ててでもすべきことではなかったのか。
 そうして娘かわいさを選び取り、結果としてたくさんの人を不幸に陥れた。
 神父でありながら戦乱を引き起こすことを止めることができなかった、このことが一体どれほど自身を悪魔に見立てさせたことだろうか。その所業、まさしく悪魔そのものではないか。
 娘のため、いやそれ以上に自分のエゴのために、娘を愛しく思う気持ちのゆえに、たくさんの人間を犠牲にしたのである。
 どれほどこのことがプランシーの身を苛んだことだろうか。



 そうした逡巡を経て、後悔と自責の念は長い年月と共に雪だるま式に膨れ上がっていったに違いない。


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 そして、カチュアを救ってくれとデニムに頼む。
 父であり、とうとう非情になれなかった、最後までずるずると流されてしまった男の姿が哀れにも映る。
 この期に及んでまだ、自分の死ぬ寸前にもまだカチュアのことを気にかけている。
 きっちりすべきだとよく分かっている、正義感の強い男が、それでもまだ引きずられている。
 ずるずると愛情に流され、義務感、正義感など見る影もない。



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 これら一連の言葉は、プランシーの悔恨そのものを背景として成り立っている。
 すべきことがわかっていながら選ぶことができなかった己の弱さ、意志の弱さ、そしてそのことへの後悔と自責の念。
 プランシーにとってできもしなかったことを、デニムには頼むというムシの良さがここにはある。
 恥も外聞もない。
 愛情の前にただ流され、「意志の弱かった」男がそれを後悔し、そうなるなよと反面教師としてデニムに示している。


 「おのれを捨てよ」「大義のためのいしずえとなれ」
 それを実践できなかった男がそれを言うのである。
 しかしこれにはとてつもない重さがある。
 それを選んでいれば今頃平和は保たれており、たくさんの人が幸せだったに違いない。少なくとも戦乱は最小限で済んだのではないかということ。そしてそれに関するプランシーの長年の葛藤そのものをこれは暴き出している。
 




 「おまえは次の世代のために道を作るだけでよい、それを忘れるな」
 恐らくはこの言葉にかけたプランシーの思いと、受け取ったデニムの思いとは大きくかけ離れていると言える。
 プランシーとしては、たったそれだけのこともできなかったという後悔がこの言葉を成立させている。できてさえいれば、今頃はという思いが。
 ところがデニムとしてはどうだろうか。
 


 Lでは虐殺をしてでもウォルスタ民族の生き残りを図ってきた。そして指導者ロンウェーを暗殺し、全ての罪をレオナールになすりつけてきた。そしてそのために自分はなんら汚れのないまっさらな立ち位置を確保できた。見方によっては、というより自分自身ではとうに気付いている。どれだけ汚く、醜い生き様をしていることだろうかと。
 でもそれは仕方ない。それをしなければ自分がやられていたかもしれない。その意味での正当性はある。しかし正当性はあってもやってきたことはあまりに惨たらしく、汚く、とてもその罪悪感の大きさは払拭できるようなものではない。



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 「ヴァイス、君はぼくを……ぼくを許してくれるのか?」
 この言葉はデニムの内心の、とても許されないことをしてしまった、しかしヴァイスが協力してくれるのは、自分をひょっとしたら許してくれているのではないかという思いを表している。
 あれは仕方なかったという思い、そして許されたいという思い、ふたつのデニムの思いを表している。当然、許されないのである。虐殺に仕方ないと加担したことは、とても許されるような物ではない。
 しかしここで重要なのは、許されたいというデニムの思いがここにあることではないか。重荷を軽くしたい、その罪悪感の重さを少しでも軽くしたい、楽になりたい。そうした思いがあるのである。



 話は戻すと、プランシーの言葉はこのデニムの内心を大変軽くしたに違いないし、そうしたデニムの思いに寄り添う性質のものだったに違いない。この思いとセットになるものだと考えなくては、言葉は真価を発揮しないように思われるのである。



 確かに虐殺という許されないことをしてしまったかもしれないが、でもそれが正しいとその時は思ったわけだし、そして現に道は拓けた、そして拓けた先に未来はあったのである。
 「次の世代のために道を作るだけでいい」
 この言葉がどれだけデニムを救ったかわからない。


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 プランシーは神父として自らを裁き続けただろうし、恐らく最後まで自らを許せなかったに違いない。
 しかし恐らく最終的には息子であるデニムの苦しみを解き放つことに腐心し、そして成功した。
 デニムの悩みを払拭できた、デニムの役に立ててから死んだその死は恐らく、神父として最後まで生きるということの貫徹、そして自らを苛み続ける人生からの最終的な解放を意味したのではないだろうか。





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