反客為主(三十六計30、併戦⑥)







 反客為主(はんかくいしゅ)……「客を反して(かくをはんして)主と為す」
 →文字通りの意味:客としてもてなされていたものが、いつの間にか主人になる。
 




 ・解説……相手のすきに乗じて足を差し込んで、敵の主要部を抑えてしまえ。この計は徐々に進めていくものである。





 これを聞いて思い出すのは、司馬懿(しばい)ですね。
 曹操に招かれながらあまりにも頭が切れすぎるので警戒されつつも、その息子である曹丕(そうひ)には信頼されかばわれ、重用される。40年かけて高位に上り、曹一族と夏侯一族を皆殺しにする。そしてその孫によって魏を滅ぼし、晋を建国すると。それも蜀では諸葛亮と戦い、遼東では公孫淵を討伐する。そうした実績があり、実力があって初めて信用されるといえるでしょう。それに信用されなかったとしても、危機に際して「司馬懿に代わる名将はいない」状況を作っていった。こういうのも大きいでしょう。



 まあ、諸葛亮も同じだともいえるでしょうが。
 最初は軍師として天下三分の計を説き、劉備はそれに従った。劉備死後は劉禅を補佐し、蜀の丞相として北伐を行い続けた。ある意味では乗っ取りだとも言えなくはない話かなと思います。
 「阿斗(あと、劉禅のこと)が無能であれば君が劉禅に代わって皇帝になってくれ」と劉備は死ぬ前に言いましたが、これってけっこう際どい言葉じゃないのかなと。



 諸葛亮は楽毅(がっき)を手本としていたといいますが、でも楽毅が示したのは本当に至誠なのか、至誠をかたどった至巧なのかというのは極めて微妙なものがあると思います。
「わたしが趙に亡命するのは、わたしが無実の罪で殺害されれば、あなたの父君である先王の名を汚すことになるからです。ああ、先代の燕王はこんな愚か者を使っていたのかと後世まで悪い名を残しかねないことを恐れるからです」
 と楽毅は亡命後に新しい燕王に手紙を出します。
 ああ、こんな忠義に厚い将軍を私は疑ってしまったのかと燕王は恥じ入ることになりますが、でも事態の「解決」ということから見るとこれほど効果的で全てを丸く収める手はないように思います。効果的という意味では、非常に「うまいな」と(笑)まあ、そこまで至誠を疑っては身も蓋もないという話になりかねませんが。
 「効果」という意味では、誠も効果の一つ、それも効果の大きいもののうちの一つだとも言えるのかも知れません。





 さて。
 二人の評価は全く違いますが、やったことは非常によく似ていると言えるように思います。献策したり、実績を残したりして信用されていく。それによって高位に上っていく。諸葛亮はそこで忠義を尽くし、司馬懿は国を滅ぼしましたが。でも言うほど真反対で対称的なことをしているようには、実はあまり思えないんですよね(笑)
 二人とも最終的には実力によって国の中枢に居座ってしまったことは共通しているわけですから。



 諸葛亮をいかにもな正義の味方、司馬懿を悪の代名詞みたいに据えて好対照として据えるのもドラマっぽくていいですが、ここはふたつを「反客為主」としてみてみるのも面白いかも、というのを提案してみます。


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