樹上開花(三十六計29、併戦⑤)






 樹上開花(じゅじょうかいか)……「樹上に花を開かす(さかす)」
 →文字通りの意味:木の上に花を咲かせる。
 →(もともとは花をつけないはずの木が)花をつける。ないものをあるように見せかける。



 ・解説……(いろいろなものを使うことで)戦局を展開して、それによって勢いさえ手に入れることができれば、力は小さくても勢いは大であるといえる。それは鴻(おおとり)が大通りに出るようなものである。その羽が「儀」とするべきものである。「鴻、逵に漸む。其の羽用て儀と為すべきなり」(おおとり、きにすすむ。そのはねもってぎとなすべきなり)。

 ・解説の解説……この表現も『周易』、周易の漸卦より。おおとりは大きい水鳥。「漸」は次第に進む。正しい手順をもって進む意味がある。「逵」は四方に通じている大きな道であり、この卦は女子が嫁ぐ際に吉であるとされる卦である。


・解説の解説の解説……鳥の羽などは実際には単なる飾りでしかないし、人を傷つけるような力などは持っていない。しかし劣勢時にはこうしたものすら打開するためには有効である。また、そうしたものを工夫して用いて、状況を打開するよう工夫していくことが大切であるということ。



 これを聞いて思い出すのは呉起(ごき)の話ですね。
 魏に仕官しようとやってきますが、王は「わしは兵法や殺し合いなど好まぬのでな(帰ってくれ、お引き取り願おう)」といって一蹴しようとします。
 ところが呉起は「なーにかっこつけてんすか」と言って王が派手派手に塗った車、いかつい矛などを引き合いに出して「じゃあこういうものを作らせてるのはなぜですか」
 と言うわけですね。


 王は勝ちたいし偉くなりたいし覇者になりたいわけです。でも戦ってするよりは、こうした派手な装飾が施された車や盾、誰が持てるのかというようないかつい長い矛などで敵を威圧して戦意を喪失させて勝ちたいと思っているわけですね。
 でも呉起は「矛を扱えるような者を訓練させたりしてますか?」
 というと王は答えられない。
 作らせたのは威圧目的なので、王はそれを使うなどとは全く考えてなかったというわけですね。



 呉起が魏でやった改革はこうした役に立たないものに力を注ぐ=ムダだし国力の浪費でしかないとしてやめさせ、「実」を重視した改革です。

 「うわ、あんなでかい矛を使えるやつが魏にはいるのか……」といったって、実際戦いが始まってみれば誰も扱えないとわかれば「なんだ、こけおどしか」となりかねない。
 そうしたものがなくとも、実際に戦って強ければ別に問題はないし、そもそもそうした虚飾も実あってこそだといえるでしょう。


 だから、ないものをあるように見せかけるというのも実あってこそ、そうした前提のない虚飾はこの魏の王のようになることを踏まえる必要があるといえるでしょう。
 孫子も「兵は詭道なり」、つまり戦争は化かし合いだし騙し合いだといってますが、実際に戦って勝てないほど全然訓練してないのに詭道だけで勝てるはずもない。
 実際に戦の訓練をしないで、さらにはその分まで装飾に力を入れて本当に勝つ気あるのかって話ですね。



 →教訓:虚飾は実あってこそ成り立つ。実のない虚飾を作る努力をするくらいなら実に力を注ぐべき。




 まあ余談ですが、この時代どこの国の臣下もなあなあにして自国が得をしないよう、合理的でないように持っていこうとする節がありました。
 自国が滅びない、かといって他国も滅ぼさない。
 「狡兎死して走狗烹らる」と言いますが、敵が滅んだら自分が用済みになりかねない。そういう保身の姿勢があったと。そういう目線で見るならば、こうして呉起が改革をして魏が強くなり、次々と敵国を攻め滅ぼしては困る人々が大勢いたということを考慮する必要があるといえるでしょう。
 呉起によって魏は栄えましたが、功労者である呉起は魏を追われることになりました。
 そして楚にいきまた改革をし、楚は栄えましたが、呉起は恨まれた末に殺害されることになりました。



 その意味では実……の対極に反実があり、成果の対極に反成果主義がある。
 呉起は殺害され、商鞅(しょうおう)も殺害され、韓信も殺された。
 歴史からこうした事実を組み出すことを忘れてはならないと思います。




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