偸梁換柱(三十六計25、併戦①)







 偸梁換柱(とうりょうかんちゅう)……「梁を偸み(はりをぬすみ)柱を換う(はしらをかう)」
 →文字通りの意味:家の構造の中で最も大切な部分であるはりや柱を変えてしまう。骨抜きにしてしまう。


 →広がった意味:優先順位の高い場所をしっかりと見定めて、明確にそこへと効果的な手を具体的に打つべき。
 梁や柱もその構造の一部として働くから意味があるのであって、一旦バラバラになったら瓦解するのは容易い
 →「三矢の訓」に通じるものがあるといえる

 



 ・解説……頻繁に陣形を変えさせ、疲れさせて自滅するのを待って、その後にその崩れる勢いに乗じるのである。敵の車の車輪を引くのに等しいものだと言えよう。「其の輪を曳くなり」(そのわをひくなり)。
 ・解説の解説……これは「その輪を曳くとは、義として咎なし(とがなし)」という『周易』の言葉から。本来は河を渡ろうとする車の車輪を後ろに引き戻すことは非常に慎重なことであるといういい意味。


・解説の解説の解説……つまり敵をクタクタにしてしまうことは敵の車の車輪をこちらが操るようなものであり、一旦そうしてしまえば勝つことなど造作もないものである、ということが言いたいのだと。




 確かうろ覚えですけど、チンギスハーンの軍がモンゴルから万里の長城へ、中国(確か宋)に攻め入ろうとしていた時に、これを使ってたなと。
 部隊を二手に分けて右、左、右と攻める。守る側の兵士は守ることではなく、ひたすら走ることに疲れ果てる。そうして兵士が動けなくなったところで、長城を崩して攻めたという話ですね。同盟軍ではないですが、意図していることは同じだと言えるでしょう。



 基本的には戦争するときに同盟したりして挟撃するとか、ともに攻める時にはこうした狙いがあるのかなと。敵からしたらどっちからくるかわからない、疑心暗鬼に陥り、走り回らせて疲弊させる。分散して待機してたら戦力は1/2になる。行動しても打撃になるし、そもそも同盟しているだけ、待機しているだけで心理的な圧迫感がある。同盟すること、手を組むことはそれだけで重要な意味があるし、だからこそ手を切らせることにも非常に大きな意味があると言えるでしょう。


 →教訓:同盟や手を組むことが重大であることと、離間の策が非常に効果的であることは同じことを背景にしているといえる。
 仲がいいことの力と、仲が悪いことによる影響とは侮り難いものがある。




 ・戦争の仕組みを家に例えて「骨抜き」を示すというのは非常に具体的でいいですね。
 どこが梁(はり)か、どこが柱か、そういう優先順位が明確にわからなければ手を打てないし、逆にわかってしまえば対処法はあると言える。
 呉王闔閭(こうりょ)の側には西施(せいし)という美人がおり、口うるさい伍子胥(ごししょ)は遠ざけられて王は美人の西施に入り浸ってたとかいう伝説もあります。西施は越から送り込まれたそうですが、美人によって君臣関係を乱す。いくら伍子胥が賢臣で忠臣であってもこうなっては王は聞く耳持たぬと。文字通り呉は骨抜きにされたといってもいいでしょし、その「手」は非常に効果的だったと言える例でしょう。


 ・また、越王勾践は滅亡寸前まで追い込まれた時に呉の金に目がない臣下に大量の賄賂を贈っています。
 それによってその臣下は越の命乞いをする立場になりました。伍子胥は勾践を殺すべきだとしていましたが、いくら言っても呉王闔閭は聞き入れないと。最終的に越によって呉が滅ぼされたことを考えても、この然るべきところに賄賂を贈る作戦は非常に有効だと言えるでしょう。


 →教訓:手を打つなら優先順位の高いところへ然るべき手を打つべき。即ち効果が大きく、確実さがあり、手軽であり、具体的に落とし込める要素を狙っていくべきだといえる。





 ・曹操の死後、司馬懿によって曹一族と夏侯一族とは徹底的に抹殺されました。司馬懿は戦術に関しても非常に長けていましたが、国内の政治に関しても優れていました。最終的に三国時代をまとめ上げたのは魏ではなく、司馬懿の孫である司馬炎による晋だったと。
 戦争は連戦連勝でありながら国内でもこれだけのことができるわけですから、司馬懿は非常に優秀な人物ですが、魏を徹底的に骨抜きにしたことを考えればちょっと優秀さも考え物だなとは言えるでしょう。韓信は劉邦の天下統一に大きく貢献したがために真っ先に抹殺されましたが、そういう意味での猜疑心(さいぎしん)というのは意外と合理性があるといえる。


 

 諸葛亮は劉備死後も蜀のことをよく考えていましたが。「優秀」ということも方向性を変えれば諸葛亮のようになるし、あるいは司馬懿のようにもなる。
 司馬懿自体は優秀だったでしょうが、それを柱に据えたがために魏は滅んだと言っても過言ではないでしょうし、諸葛亮を柱に据えたがために蜀は劉備死後も安泰だった。
 優秀な臣下が国の屋台骨を担っていたのはどちらも同じなのに、こうもはっきりと明暗が分かれるものかというくらい鮮やかに結果が分かれています。


 優秀、名将ということだけ見ればどちらにも共通することだろうに、結果的にこうも大きな差が出たということは注目に値することではないかと思います。





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