欲擒姑縦(三十六計16、攻戦④) 改






 欲擒姑縦(よくきんこしょう)……「擒えんと(とらえんと)欲すれば姑く(しばらく)縦つ(はなつ)」
 →文字通りの意味:最終的に捕まえようと思えば、最初はわざと逃がす。
 →広がった意味:最初は相手に余裕を与えて、敵の気が緩んだところを攻める。



 ・解説……追い詰めれば反撃してくる。敗走していれば勢いは減ってくる。決して急迫して追いつめてはならない。気力を減らして闘志を消し、敵が分散したところを襲撃するならば血が流されることもない。機を熟すことを知れば、成功は容易に収めることができるだろう。(需、孚有り、光なり(じゅ、まことあり、こうなり))



 これは兵法にも、「敵を包囲した際には完全に包囲してはならず、一か所は逃げ道を用意しときなさい」とあります。せっかく敵を包囲できているのになぜ敢えて逃げ道を用意するのかというと、「死地に生あり」であって逃げ場のない窮地に追い込まれれば敵はその持った力を十二分に発揮しかねないからだと。だからそういう精鋭を作るために敵地の奥まで突き進むことは、理に適っているという兵法もあるほどです。死に物狂いで戦う敵兵はそこまで恐ろしい。
 ところが「あそこから逃げれそうだ」となると途端に意気が削がれ、せっかくの精鋭も逃げることに必死になると。だから徹底的に包囲することは理に適っているようでありながら、決して最前手にはなり得ない。それどころか敵側に精鋭を作る意味では悪手にもなりかねないわけですね。だから兵法では徹底的な包囲というのは禁じ手です(まあ銃がある時代ではちょっと話が違うかも知れませんが、それでも言わんとすることは今でも正しいと言えるのかなと)。


 官渡の戦いの後に、倉亭の戦い(そうていのたたかい)という戦いがありました。
 袁紹の大軍を迎え撃つのは曹操の本陣ですが、これが背水の陣を敷いていてそうなかなか屈服しない。
 まあ小勢だし明日でもいいかと袁紹が帰ろうとすると、左右の山から次々と伏兵が襲ってくる。
 袁紹は逃げる、そうすると次の山から伏兵が現れる。
 さらに逃げる。すると次の山から伏兵が。
 官渡の戦いで袁紹が壊滅したと語られることが多いという事ですが、実際はこの戦いによって壊滅したという事のようです。
 もともとは韓信が項羽を相手に使った策略ということですが、これを知ってて曹操に献策した程昱はすごいですね。
 まあこれで自らおとりになった曹操もすごいと思いますが。



 とにもかくにも下手に包囲するより逃げ場所を残す、ということですね。



 追記。
 袁紹死後に袁紹の息子三兄弟が残りました。
 上から袁譚・袁煕・袁尚ですね(えんたん、えんき、えんしょう)。
 袁紹は後継ぎを特に指定していなかったのですが、特にこの長男と三男は仲が悪かった。後継ぎを自認し、対立していたのですが、曹操という敵を目の前にすると途端に手を組むわけです。呉越同舟ですね。
 で、「やつらは仲が悪いのでほっといたら自滅するでしょう」と言われたので、曹操は放置することにしました。
 すると、たちまち袁譚と袁尚は戦いを始めたわけです。袁尚は負けて袁煕のところに逃げる。
 すると曹操は勝手に領土を広げたのは許さんと袁譚を討伐するわけですね。
 


 仲が悪くても危機に遭えば皆が一致団結する(呉越同舟)。
 三人で組めばそう簡単に敗れるものではない(三矢の訓)。
 しかし敢えて攻めようとせず、しばらくほっといたら勝手に仲違いし、殺し合いを始めると。捕らえようと思うならばまずは逃がしなさい、これはまさに「欲擒姑縦」そのものだと言えるでしょう。








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