調虎離山(三十六計15、攻戦③)






 調虎離山(ちょうこりざん)……「虎を調って(あしらって)山を離れしむ」
 →文字通りの意味:虎を騙して山からおびき出す、山から離れさせる。
 →広がった意味:敵を有利な土地から誘導して撃つ。



 ・解説……天の時を待って敵を苦しめ、人をやって敵を誘うというのが上策である。敵地に行けば悩みは尽きないが、敵が出て来たならば悩みは解消され、我に返ることができる。



 孫子でも「攻めよりも防御を優先するべきだ」とありますが。虎が山に籠っているというのはまさにどうしようもない状況で。虎がそもそも強いのに、しかも自分のねぐらに籠っているのは鉄壁の守りに等しいと言える。だからこそムリにそこを攻め落そうというのではなく、有利な土地からおびき出して叩くべきだと。



 例えば馬謖(ばしょく)は蜀の将軍ですが、街亭の戦いにおいて諸葛亮のいいつけに従わず山の上に陣取ります。これは馬謖の側にも言い分はあるわけで、兵法にはけっこう高地は有利だとあります。高い所から低い敵にむかって武器を振り下ろすならば、武器には勢いが加わる。受ける側はその重さ分も受け止めねばならなくなる。そう考えるならば高地の方が低地よりも有利だというのは兵法に適っているといえるでしょう。
 ところが相手は司馬懿(しばい)、そんなことは百も承知で山をさっさと包囲します。山の上で水がなくなり、どうしようもなくなって馬謖は攻めて活路を見出すしかなくなります。
 司馬懿から見れば、ああもう馬謖は限界なんだなと一目でわかります。天の時というのはこの場合、司馬懿に味方するというよりは馬謖軍の我慢の限界を表すと言えるでしょう。自軍の有利以上に敵の圧倒的不利を表すのが天の時だと。確かに高地から武器を振り下ろされればそれは司馬懿にとっても脅威ですが、そもそも武器を持つのもやっとというくらいに追い詰めることができれば何も恐れることはありません。
 水なく立つのもやっと、そうして力を失った蜀を徹底的に破ることになるわけです。



 司馬懿はこうして馬謖を破るのですが。
 兵法に則っているのはむしろかなり馬謖の方であること、それを破った司馬懿の方が決して兵法通りではないことを注意する必要があると思います。
 見方によっては、馬謖は兵法に縛られており、見透かすことも容易である。一方の司馬懿は兵法など熟知している。縛られること以上に応用を効かせること、兵法を踏まえた上でどういう手を打つかに関心があったとみなすこともできるでしょう。


 あるいはもう一歩進めて、「兵は詭道なり」近くても遠くに、強くても弱く、弱くても強く見せることが大切……とみなすならば、ストレートに山の上に陣取った先に馬謖は何か策を用意していた可能性もあるとはいえるでしょう。
 また、司馬懿からすれば普通は道の上に陣取ったら長期戦になって魏が不利になる恐れもあるだろうところを、敢えて山の上に陣取るという事はこれは何かあると考えた可能性もあります。
 つまり裏の裏をかく可能性がある……しかしそうした周到な作戦でも、包囲して水を断てばなんてことはない。裏を考えるまでもないと判断したのではないかなと。


 諸葛亮の思惑と司馬懿の思惑、そして馬謖の思惑が絡み合ってますが、そうした読み合いの状況下で包囲して水を断とうと思えた司馬懿の決断はけっこう重要な重さがあるのかなと思えます。








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