「身の程」について





 かなり愚痴っぽい話になるわけだが……笑
 身の程、分際、階級……
 この社会ってのはそういうものに満ち満ちている。「分際」なんてのは文字通りには分けることやその際を指すのだろうが、実際はそれは区別ではなく差別的な意味合いをより多く帯びたものであり、上下の概念を外して考えることはできない。言葉一つ一つにそうしたニュアンスがあり、文化もそれとほぼ一致している。身の程を知って、小さくまとまり、出る杭は打たれるから出ないようにし、そうして一生慎ましく暮らす。それがいかにも理想的なようでもあるし、「非の打ちどころのない」話である。しかしそうして生きている人々も好き勝手できない不満は溜め込んでいる。だからこそ好き勝手やっているということにはけっこう我慢ならない。その我慢を可能にするのは「あいつはまああの程度だから」という自分よりも下という見方だったりする。分際の窮屈さから始まった不満は分際によって解決される。ある意味社会的にもいい仕組みだろう。
 その意味での瀬戸際での攻防あるいは暴力性というのは凄まじいものがあって、いかにも親切なアドバイスに見えるそれが実際には「目障りだ」を意味し、婉曲的な「もっといいやり方があるんじゃないかな」となって表現される。アドバイスというのはその意味ではかなり危うい。自分が上でないとアドバイスはできないし、またアドバイスはそうした地位を保証する役割も果たしてくれるからだ。そうした関係が続いているうちにアドバイスをもらうことが当然になり。また与えることが当然になっていき。そうして関係が破綻していくことは少なくない。経験、視野、思考内容など千差万別であるべきものが「上下」の前に淘汰されることは少なくないし、また関係というのものの本質はそもそもこういうものだったりすることがある。関係であること以上に上下であることが重要、恐らくこの分野こそAIの独壇場、AIによって解決されるべきたり分野だと思われるのだが……。
 結局のところ「分」であり「際」であるところのもの、その概念を具体的なレベルで脅かしかねないものに関しては人は非常に敏感である。それが仮にプラスをもたらしかねないものであっても、そのプラス以上に圧倒的に変化を忌避する。恐らく10万円、100万円積まれたとしてもそう易々とOKはしないだろう。そのくらいの死活問題だといっていいような話だと言える。これはいい意味で言ったら分であり際であるところのものをしっかりと守っているといえるだろうが、悪い意味で言ったら変化に適応できないということを表す。要するに自らに忍び寄ってくる変化というものの持つその気配が圧倒的にめんどくさいのである。その接近を許すくらいであれば、今すぐにでも叩き潰したいのである。まるでゴキブリを潰すように。




 最近体調不良に連れて発見も増えた。今まであったアドバイスは「まずはAを極める。そして次はB、そしてCと移るべきだ」というものだった。これは妥当なように見えて、凄まじく欲は深いのである。一体何年生きるつもりなのか。もしこの果てに妥当性を見るとすれば、人が生きる時間は果たしてどこまで計算されているのか。そもそもこの言葉にどこまで合理性があったか。言った以上これに従ったとして、果たしてどこまで責任が取れるのか。
 まあ結局のところわたし自身が相当短気だしめんどくさがりなので、一気に20個30個同時に手掛けるなんてことをやるわけだけどそうするとAの波及効果でDが良くなる、Dが良くなるとKにも好影響が出るなんて場合が起こることがある。これを見た時は目からうろこで、ああこれなら間違いなく物事は一気に手掛けるべきだなと痛感した。A、B、CとやっていてはAの経験を元にBには踏み込めるかも知れないが、同時にやることの波及効果までは知りようがない。D、ましてKまで生きているうちにたどり着けるのかどうか。特に数が多くなるにつれて関連性の検証はより効果的になるわけだから、実験して成果を測ることもより良くなっていくと言い得るだろう。これはコンパニオンプランツの経験がとても大きかった。これの存在は考えることや考えることの概念のあり方を捉えなおす意味で、非常に重要なものだと思う。



 学校を出ると誰もそこまで勉強はしなくなっていく。
 20ならともかく30、40になってまで貴重な時間を使ってわざわざコムズカシイ本を開いて勉強するやつが果たしてどこまでいるだろう。もしするとすれば、自らの仕事に直結するとか、給料に関わるとかであって、その他はどうかとなるとこれはさらに難しい。範囲外を学んで範囲を広げるってのは。みんな自分の「分」と「際」を決めて、その中に落ち着いていく。別にそれ自体は人の生き方だから、自分はそうはなりたくないとは思うけども、決して否定はしない。否定するものではない。たまにだらだらするといい気晴らしになったりもするだろうし。



 しかし、その快適テレビセットの一貫性としてまるでハエやゴキブリを始末するかのような体裁で徹底的に潰す、潰した快感がテレビセットの余興みたいなものだとしたら、たまらないよね……笑
 ま、だからこそあがくことには意義があると思ってますけどね笑ここは一生分かり合えんだろうな。






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