精神コマンド






 精神コマンドってのは、某ゲームに出てくるアレである。必中を使えば100%当たるし熱血を使えばダメージ2倍のアレ。先日知人と話していて、日本人てのは精神コマンドが好きだしああいう思想を持っているから現にああして「精神コマンド」として表れてくる。今はそうした精神主義を露骨に出しはしないが、そうしたものを好む性向というのは今も基本的に変わっていないんじゃないのかという話をしていた。基本的に聞く側だったが、なるほどなあと思いながら話を聞いていたものだった。二次大戦で日本人はアメリカに劣勢を強いられていた。物量、人員、油。戦況の悪化。ところが日本人は最終的に精神コマンドを使い始めたのだと。その結果があの神風特攻隊である。100%死ぬしかない状況で出陣し、自機で敵艦に突っ込む。まともな神経ではできないし、その不可能を可能にしたのが即ち何かといえば「精神コマンド」的な何物かであると。ともかくそうした言葉で表さなければ到底表しきれないものだし、それは恐らく精神コマンド的な存在、概念に非常に近い何物かである。日本は戦争には負けたが、間違いなく後のその「精神コマンド」的なものがその時に示された。そう思って大きく間違ってはいないのではないかと。
 そんな話をしていた。まあとてもまともな神経ではなせない業である。自機で敵艦に体当たりするなんてのは。体当たりする寸前で恐くなって横に逸れるやつもいた、なんて話の方が余程まともに思えてくるし、イスラム的自爆テロ的狂信的な切り取り方であの事態に当たった方が余程すんなりと受け入れられる気もする。とにかく、そのくらい理解するのも大変な。理解しがたい話だと思う。




 ところで、私自身はかなり精神コマンド的な性向をどうも好む傾向にあるらしい。ムリをする、頑張る。努力と根性で奇跡を捻り出して事態を一気に打開する。100%の結果を120、150%と上げていくことを勝手に求め始める。それをどういう言葉で表すかと言えば、恐らく理想主義的な精神主義と言っていいものだと思う。睡眠時間を削り、休憩を削り、余暇を削り、その先にあったのは悲しいことに肉体と精神の破綻だったという……(笑)
 あれは非常に痛い目にも遭ったが、非常に勉強にもなった。が、まあそりゃまた別の機会に。



 ところで、学生期間というのはけっこう誰もが皆理想主義的精神主義みたいなところが濃厚にあったように思う。ムリや不可能に対して熱意とがんばりで立ち向かい、困難を克服し、成し遂げていく。そうしたものが濃厚にあるとすれば、社会に出ると皆現実主義的精神主義みたいな方向になるように思われる。頑張るとか根性とかダサい。そもそもそんながんばったって事態は何も変わらない。そんな感じであるし、そうした冷めた一種の諦観を帯びた姿勢が「大人」みたいなところもあったりする。まあそういうもんだわねと思っていたが、ふと思えば果たしてその見方は正しいのだろうか。学生期間中のあの理想に燃える姿勢から卒業し、言ってみれば「脱皮」して現実主義に落ち着く。がんばらず長いものに巻かれ、自分を隠し生きていくのが賢いし当然。確かにそう見えるのだが、それが子供から大人への卒業ならぬ転換を意味するのだとしたら、どうもそれは大分違うように思えるのだ。もっとはっきり言えば、表面は変わったように見えるがその内面はそう大きく変わるものではない。もっと言えば精神コマンド的なものはまだ内に秘められていると言えるのではないかということである。



 ただしその奇跡を満たすものは直接的努力ではない、間接的努力であり、言ってみれば仕事である。その仕事によってカネを稼ぐ。この金が奇跡への対価となる。金というものがあれば不可能は次から次へと可能になるし、これほどの奇跡は他に果たしてあるだろうかといえば、まあそうそうないものであるといえる。欲しいものは買えるし、カッコイイものは次から次へと生まれてくる。社会にあるもので金を出して手に入れられないものはまあまずない。そうすると精神コマンドなんてちまちましたものは使わなくなるのは当然の話である。もっと便利でイイものがあるのだから。その意味での現実主義的精神主義というものに目覚めることが大人になることなんだろうが、しかしその文脈で求められるお金っていうのはもっと楽で便利で汎用性の高いムリのない形での精神コマンドの代替、というより上位互換そのものなんじゃないかと思えば、お金で実現化される世界観を通して見える世界というのは、これは結局精神コマンドの先にある世界にかなり近い世界なんじゃないかなと。精神コマンドは小奇跡を実現するかもしれないが、おカネは大奇跡を実現可能にするのである。努力と根性と愛が神風特攻隊を実現化したとするならば、今の時代お金を出して特攻用のドローンを購入すれば神風特攻隊を上回る成果だって上げられるかも知れない。なんたってドローンは怖くて横に逸れたりしない。極めて従順に目標に向かっていくのだから。





 そうして、卒業した体裁でありながら理想主義的な精神主義は潜在的に身を潜めているように思われるが、それをじゃあ卒業したからもう一切なくなったものだと見ていると、これはとんだ勘違いということが起こり得るのではないか。そして卒業したなどと思えるうちはまだまだ若く、恐らく人生を生きているうちにその理想主義と現実主義との比重はまた大きく逆転を始める。それが大体の人生なんじゃないのかなと。それは不幸を意味するんじゃなく、案外けっこう幸せなことだったりするのかも知れない。
 少なくとも完全に脱皮した、無関係だと割り切るには我々は余りに日本人に過ぎる。効率最優先でバンバン作ってはバンバン壊す。あー壊れたかまあまた作ればいいやとか、さらには壊れたものを愛でるというよりはアミューズメント性の上に配置して破壊すら徹底的に楽しむという
ような段階に至るまでの極度の割り切りを受容できるようには、どうも日本人は全くできていないように思えるわけである。



 先日、アメリカかどっかの富豪が新車を車破砕機にかけて徹底的に楽しもう的な動画がTiktokであがっていて、アメリカの方では爽快感あふれるエキサイティングな動画としてこれを純粋に何事も挟むことなく楽しむ文化みたいなものがあるなと感じた一方で、日本の方ではもったいないとか何が楽しいかわからないという感想が多数上がっていた。要するに日米で両極端の反応になっていたのが非常に興味深いなと思った。これは単に個人的な志向と感想という範疇ではどうも語りつくし難いものがある。日本人でも富豪なら新車を壊して楽しむかもしれないし、アメリカ人の方でももったいない精神は少しくらいはあるはずだから、そういう可能性を挟む余地は必ずあるはずだ……と言われそうだが、そう見てみてもその疑問を挟む余地がどうも全くなさそうな様子だったわけだ。これが示すものは文化的な差異なのかなあと思って眺めていたわけである。





 あ、精神コマンドと対置するものとしての水的な生とか考えていたがはてどんな内容だったか忘れた。まあまた今度に回そ。


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