組み直す能力






・小学、中学、高校、大学となんとなく学んできたけど、学ぶこと、これによって起こる最も大きな違いは一体何に行き着くのかと考えると、個人的には物事を頭の中で組み直す能力なんじゃないかとふと思えた。
 学校で「なぜナニナニはこうだと決まっているんだろう?」と言えば、そういう風に決まっているからだ、そういうルールだと教えられる。ふーんそういうものかと思いながら、なんとなくもやもやしたものは残るが、しかしそれ以上深く考える必要性もない。つまり深く掘り下げようとすれば岩盤があるわけだ。「ルール」とか「決まり事」、「常識」といった岩盤が既にあるからそれ以上深く考えなくていい。というより深く考えるのは不可能になっているといえると思う。
 大学というのはその土台をかなりの部分解体する期間であると思う。「当然」のところ、絶対不可侵だった領域を分析する。「当然」の範囲にメスを入れる。そうして「当然」や「常識」が当然であり常識でありつつもその反面犯しているたくさんの罪があったりする。そうした領域を発掘する期間が大学なのかなと。
 常識とは、当然とは。その常識の延長で一体何が起きているのか。なぜそうした犠牲も全て常識と当然はスルーしてしまえるのか。そしてその矛先がいざ自分自身に、自分の身近にその対象が向けられた時に一体具体的に何ができるのか。そもそもそうした対処をするのはどうなのだろう。よそに向けては当然、常識と言ってきたクセに自分にその矛先が向けられたら理不尽を唱える。この矛盾。傲慢が急に卑屈に変わり、卑屈な態度は喉元過ぎれば傲慢に早変わりする。でもそうした矛盾にも見える態度を当然のようにするべきだし割り切るべきだというのが大人、いや社会人。そもそも下らないことに頭をいちいち使わないのが粋ってもの。いちいち考えるだけ無粋。云々。





・そうしてみていくと、学ぶことっていうのはざっくりと言って今までの知識を総動員して組み直すことができることに繋がると思う。それは割り切ること、割り切る態度とは対極に位置すると思えるのだが、割り切らない、自分では割り切れないことは徹底的に突き詰めることでもあるように思える。粋ではなく無粋。空気を読むよりはKY、空気を読めないのではなく読むけど読んで従わないような態度なんじゃないかと。そうやって当然としてスルーされていたものをスルーしないことでもある。




・例えば、整理整頓だってこれが正解というような正解はないわけで。正解はないけども目的、優先順位、重要度などを踏まえていくと微妙に配置が換わったりする。そうしたその微妙さに合わせて組み直すということが表れるように思う。今まではこうだったけど、これからはこうだなあとか。あああのイベント終わったから次のイベントに向けてこれを最前に置こうというような。そこに組み直すということが微妙に出てくるように思えるわけだ。
 今まで当然のようにあったものの配置を変える。「当然」に手を入れる。不可侵の部分を組み直す。



・孫子では「水攻めは軍の大きさによってやるものなので、そうやたらめったらやるもんじゃないよ」と言っていた。それが常識だった時代には水攻めはそうされるものではなかったが、韓信は要塞や名将と当たるときはこれを逆手にとって積極的に水攻めを活用している。孫子では優先順位が低かった水攻めを敢えて引っ張り出して戦法を組み直している。




・大学が箔を付けて出るだけの「就職予備校」扱いされて久しいように思うが、まあそれも結構仕方ないなあと思うわけだけど。授業中他のことしてる、テキトーに受ける、寝てるなど恐らく9割前後だったように思うし、まして~ということもある。そうした風潮に背を向けて徹底的に授業を受けようと思って、結局最終的に何を学んだんだろうか、掴んだんだろうかと言えば徹底的に分析しまくること、それを並べ直したり書き出したりして要するに組み直してるよなあと思った。これが非常に具体的でありかつ概念的であり、広範に渡りつついかに細かいところまで当てはまっていくか、そして効力があるかについて書こうと思ったけど、イマイチ出てこなかったので笑、まあしゃあねえやと今回はこれで終わることにする。


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