なんで勉強しなくちゃならないのか






 ……なんてことはたくさんの偉大な先達たちが山と言うほど腐るほどの金言の山を残しているだろうから、探せばいくらでも出てくるに違いないのだが。しかもそれは全部正しくて良薬は口に苦しときたものだから、調べる気にも起きないような代物と来たもんだ。それを敢えてこんなところで書こうというのだから全く申し訳ないてなもんである。全くお目汚しの時間取りてなもんだ。



 で、なんで勉強しなきゃならないのかふと思いついたことがあるので。
 わたしは勉強苦手、運動も苦手で図工の時間に逃避、部活に逃避しているような人間であってまあろくな学生ではなかった。前にも書いたが、よくも悪くも応援されるような人間だった、ということでお察し頂きたい笑
 その一方で運動も得意、勉強も得意な人もいたように思う。もしくはそのいずれかが得意というような人は非常に多かった。そうしてみるとその両方がダメというのはこれはもう非常に悲しい話だった。
 そうしてみると劣等感は非常に強かったもんだから運動を頑張った、するとするうると伸びていった。そうなると、そこでああオレは足が速くなったんだと増長するようになる。あぐらをかき始める。
 もっと言えば、オレは足が速くなったんだから他のことはいいやというようになった。算数できなくても、理化がダメでも。逆上がりができなくても、いいじゃん足が速いんだからと思うようになったところがある。そういう習慣の積み重ねがオレは勉強をまったくしなくてもいいやと思わせるところへと繋がっていた。これには死ぬほど苦労させられた。




 で、何が言いたいかって人には「範囲」がある。運動が得意不得意、勉強が得意不得意。それらはなくても図工は負けないとか、そういう範囲が一人ひとりあるわけだ。
 子どもの頃はいやでも勉強させられたけど、そうして強引に範囲を拡大させ、それに適応していくことが必要だった。強制があったし、それによって強制的に範囲を拡大しなくてはならなくなるわけだ。算数が不得意でも数学は免除にはならないし、社会がニガテでも歴史と地理は学ばなくていいなんて話にはならない。そうして範囲は拡大していく。
 では大人になるとどうかといえば、その拡大の可能性は無限に広がるといえる。税金の話とか給料の話とか、理科や社会とも関係ないような話も覚えて適応していかなくてはならなくなる。そもそも仕事を覚えなくてはならない。ではその税金に給料に、仕事。以上でいいかと言えばそれでいいとも言えるのである。敢えてそれ以上に広げる必要はない。それで合格ラインは達成。無限に広がる可能性にすべて適応なんてことはできないし、誰もやらないだろう。



 ところがこの税金と給料、仕事、これですらけっこう覚束なかったりすることがあるのである。自衛隊を辞めてから、あーオレも社会人一年目みたいなもんだから自分でいろいろやっていかないとなーと背筋に冷や汗かくような気持になったのでいろいろ勉強した。確定申告とかマイナンバーカードとか。ところがそうしたものがいらない人もいれば、そもそも知らない人も意外と大勢いる。なんなんだこれはと面食らったのをよく覚えている。じゃあしなくていいのか……? と思ったら、やっぱしないといけない。その間を埋めるのに非常に苦労した。



 
 そこのところを大雑把に考えてみると。けっこう得意なものがなくて、なんとしてもひとつ得意なものを掴み取らなくてはと苦労した経験のあるやつはけっこうこうしたことをよく踏まえている気がする。恐らく、苦労した経験がある、そしてニガテ分野だろうととにかく成績を伸ばさざるを得なかった経験のあるやつは、そうした税金とか給料とかヨクワカランものを把握することにかなり抵抗がない。わからんならとりあえず調べる。そこに恐らくかつての「勉強」の跡が見えるのである。範囲を広げること、その分野をそれなりに把握することが比較的スムーズにできる。


 ところが、得意分野に乗っかってオレはこれがあるから(他はしなくていい)といって勉強をしなかった、つまり範囲を拡大させる必要性が無かった人はこのことが致命的に不得手である。ニガテで、よく知りもしないことをどうしてしなくちゃならないのか(めんどくさい)。そこにあるのは決定的な「勉強しなくちゃヤバい」という焦燥感のなさ、そして「オレにはこれがあるし」という余裕である。一度こうなると、範囲を拡大するということは致命的に難しいものとなってしまう。



 「泣くものは笑い、笑う者は泣く」というのは『楽毅』の一節であるが、こうしたことは人生時々見受けられる気がするなあと思う。
 それと同時に、良くするったって結局は不得意なものを改善することと、得意なものをより得意にすること、突き詰めるとその二つしかないと思うわけだけど、この二つを両立すること、これがいかに難しいかと。
 得意なことを深めるには知識の広さがいる、しかしその知識の広さを広げることを本人が絶対的に拒んでいるとしたら、もうどうしようもない。人の限界というのはこうして決定していくのかと思いつつ、しかし赤の他人では如何ともし難いのだから。





 だから、なぜ勉強しなくちゃいけないのかと聞かれたら、それに対する答えは「勉強しない→範囲が広がらない→その人の限界を作るから」だろうなあとふと思ったのでこうして書いてみたわけである。




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