孫子を読んでもネタが浮かばなくなったので(笑)、次は呉子を読もうかなと。また出てきたら続きを書きますので。
1、図国篇(とこくへん)の1
主人公は呉起(ごき)。魏に仕えて重用されてその後に楚に仕えたと。そして最後は楚で殺害されるが、とりあえず魏に仕えるところから話は始まる。
呉起は儒者の服を着て、兵法論の話で魏の文候に面会を申し出る。
するといきなり「わしは戦争など好かぬ」と文候が言う。
呉起は知っている。王の職人がせっせせっせと派手派手な服を作り、さらにはそれに猛獣の絵まで描いている。つまり文候は「威」、威圧感を表現しようとしているしそれによって他国を威圧したいし、オレのところは強いんだぞと言いたいと呉起は見抜いている。
その話を持ち出して、「そんなものを作ったところで冬の寒さもしのげないし、夏の暑さも防ぐことができない」と呉起は言う。文候の装飾に対する偏重を批判する。
装飾にいくらこだわったって、それが戦争の際にどれほど役に立つのかと。
これに続けて、呉起は王が約4.0~7.5mもあるような長い戟(げき、要するに武器)を作らせていることを批判する。
戦争に興味がないのであれば、なぜこういうものを作らせているのか。
そしてこんな重い武器を一体誰が扱えるのか。
また、それを扱える者を訓練しようとさせているのか。
いくら意気は盛んでオレは強いんだぞといくら言ったところで、実際には役に立つようなものではない。
それで他者、他国を威圧すれば「魏はすごい武器を備えている」
「あんな武器を振り回すやつがいたらひとたまりもない」と脅すことはできるだろうが、実際に戦いが始まればただの飾り。誰も使わないし、扱えない。
先の派手派手な服と同じで、役に立つようなものではないと呉起は言う。
文候が他国に勝ちたい、他国より強くありたい、他国に認められたい、他国を威圧したいと思っている、それがそうして装飾に対する過度な愛好と偏重に繋がっていることを呉起は看破する。
そして「それはひなを抱えためんどりが猫に立ち向かい、子持ちの犬が虎に対抗するようなもの」であると説く。
勝ちたい、強くありたいと思うのであれば実際に役に立つものを集めて揃え、準備しなくてはならない。そうしないで威圧しよう、脅して他国を従わせようなんてやって装飾偏重していたら、それはハンデになりかねないと。そうした実際役に立つものに力を注ぐのではなく、注げるその分まで装飾品に回していたら、ハンデをわざわざ背負って敵に立ち向かうに等しい。敵に利益を与えるようなものではあっても、自分に利益をもたらすようなものではないのだと。
この呉起に批判される文候というのは「こうなりたいと思いながらいろいろした挙句、その目標から実際は遠ざかっている……けど本人は近づいている気になっている」人の皮肉のようで、妙に身につまされる思いがした。
本とかたくさん買って「ナントカ集全20巻」とかきちんと整列して並んでいると気持ちはいいけど実際は読み込んでナンボだし、そもそも丸暗記してれば並べる必要がない。気持ちはいいということが実際には無力の証明みたくなっていたりすることもある。
……ということで今回はここまで。
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