孫子を読んで その8 情報と人の話
十二章の用間篇(間諜、要するにスパイの話)を見てみたい。
ざっくりと言えば、敵軍、敵将などは自分のところのスパイを使って徹底的に調べ上げさせろという話になる。
この話を通して孫子は、スパイによって調べ上げさせた情報がどのような意味をもっているか、そしてどれほど重要なのかは洞察力のある賢い君主にしかわからないと説く。そしてスパイは重要な情報をもたらす仕事なので、ぜひとも多大な褒美を与えて報いてやる必要がある。
そしてスパイのもたらす情報は非常に重要な情報であるがゆえに、それを用いて事態を有利に進めないということは、つまり民衆の重く長い負担をさらに増しかねない、苦労を無にしかねないものである。そうであるがゆえに、その情報を活用しないと言うということは人々を憐れむ心のなさを表している。そうしたことを言っているくだりである。
スパイとか普段の生活には全く関係ない話であるが、ここから読み解けることは「スパイが重要である」ということだけ、この一事だけにとどまらないように思える。即ち①情報の重要性と②人の大切さ、この二点についてこの話から読み取ることができるのではないかと思うのである。
①「情報が大切」なんてことは誰でも知っていて口にしそうな話であるが、ここで言う情報も重さの軽重がある。スパイが取ってくる情報は相手にとって致命的になりかねないほどの情報であると。「君主が変わりました」と聞いて、その新しい君主と将軍の仲が悪いことを知り、離間の計を使うというのはよくある話である。楽毅(がっき)は素晴らしい将軍だったが、斉を滅ぼす間際で讒言(ざんげん、ありもしないような悪口のこと)を受けて失脚し、燕から趙へと亡命を余儀なくされた。楽毅を失った燕軍は斉によって徹底的に叩かれた。
スパイのもたらす情報の中にはそういう重要性の高い情報もあるが、そうした重要性のない情報もたくさんある。つまり意味や重要性、効果の高いものや致命的になりかねないものもあれば、大した意味のない情報もあると。さらには「君主が変わった」というだけなら大した意味のないものかもしれないが「新しい君主はどうも楽毅と仲が悪いらしい」となればいきなり起死回生の一手が打てるかも知れない。つまりある程度の量があり、その組み合わせによってはいきなり重要性が増してくることもある。そうした単に「情報」というものではない、情報の濃淡や量と質、組み合わせ、それらによって成り立つ「情報」という概念の存在をここで指摘しようとしていると言えるだろう。
②人の重要さについて。スパイは素晴らしい情報を持ってくるがゆえに優先順位が高く、厚遇する必要がある。しかしスパイなんてのは身近ではないわけだが、「部下」というもの、そして引いては人というものに対しても優先度や重要性の濃淡は同じようにあると言える。効果的な働きをし、重要性の高い仕事をする者は優遇し、そうでないなら解任するなりなんなりする必要がある。平等ではなく、その人にあった場所に付けてやる必要があると説く。早い話が適材適所であり、能力や適性によって向いた場所向かない場所を見抜いて適度に振り分けてやる必要がある。
一人一人の適性を見抜かない、見抜くことがないために適材適所を行わない。人が持てる力を存分に発揮できない状況。それを打開しよう、改善しようとする方向性があるとするならば、それと真逆なベクトルもある。それは言ってみれば差別のない、一切区別することのない、極めて「平等」なものだったりするのだろう。
「呉子」の中には「猛虎のような士は抜擢しろ」とある。特別待遇をし、死んでも家族には手厚い手当が振り込まれるようにするようにしろと。スパイにしろ、こうした士にしろ、それはよく見ることによって初めて見抜くことが可能となる。ある意味「見ない」ことが一律性をもたらすとも言えるだろう。しかしそれは一切優先順位や濃淡などというものを見ないことに等しい。
抜擢するということ、差をつけるということと抜擢しないで全てを等しく見ること、個別性を一切見ないこととは全く方向性が異なることである。「平等」をあまりに推し進めた結果が「悪平等」に陥ることもあれば、抜擢という一見すると「不平等」に見えることが、実際には事態をよく見てある意味一人一人を「公平に」見ていることもあり得る。
孫子が「抜擢しろ」ということがつまり差別をしろということだとすればちょっと言い過ぎかとも思えるが、しかし抜擢するにしろしないにしろ、それはよく見ることから始まることを思えば、ここで言いたいことの一つは「よく見ろ」ということではないかと言っても過言ではないだろう。
①、②といろいろ並べてきたが、まず対象をよく見ること、それによって軽重や濃淡と言った微妙なものを察知し推し量ること。そうした方向性を孫子が言いたい雰囲気がある。そのように思われたという話である。
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