孫子を読んで その5 足し算か引き算か? の話
ここでは「三章 謀攻篇9」の中身を元にして考えてみる。
(ざっくりと書くと、敵を撃破して勝つのは下策だし敵をそのまま仲間にするのはベストだよと孫子が言っているくだり)
ここで孫子は百戦百勝が最もいいものなわけではない、戦わずに敵を屈服させることが最も良いことであると言っている。
こちらが5の戦力があり、敵が3の戦力だったとする。すると5-3=2となる。戦争によっておこる結果を非常にざっくりと計算するなら、まあこうなる。一方戦わずして利害を説き、敵を仲間につかるとすれば5+3=8となり、国力は増強する。前者は勝っても国力は衰退している、周辺の国々は当然弱ったところを狙うだろうし、内々でも仇だの内乱だの起こって収拾をつけることが大変になるのは必定。ところが後者なら後腐れもなく周辺諸国にスキを衝かれる恐れもないわけだ。
従って重要なのは引き算ではない、いかにして足し算の方向性にもっていくか、事態を推移するか、推移させるかが重要だということだろう。こういえば理屈としては極めて単純になっていると言える。
これは毛利元就の「三矢の訓」も同じで、毛利隆元、吉川元春、小早川隆景の三人兄弟が協力すれば毛利家は強大な勢力になり得るが、対立すればたちまちボロボロになること、そして各個撃破すれば容易く毛利家など影も形も残らなくなることを示唆している。
8、5、3の勢力がそれぞれ手を組めば16になる。しかし対立すればあっさり0になる。0どころではない、急成長してきている織田家に支配されてもう日の目も見られなくなるのがオチである。
毛利元就は自身が調略に長けていることもあるだろうが、対立させ一つ一つを潰していきさえすれば強敵もなんてことはないと見ていたものと思われるし、その調略の簡単さと組織が簡単に崩れるその脆さをよくわかっていたからこそ、敢えてこうした訓戒を示そうとしたのはよくわかる話である。またそれが必要なくらいに三人の仲は悪かったに違いないし、それを元就もよく知っていたのも間違いない。
協力するか、対立するか。
応援されるか、憎悪されるか。
順風であるか、逆風であるか。
そうしたことは一見単純なことでしかないし、あーまた言ってやがるわ今日も仲が悪いねえというようなものでしかないのかもしれない。しかし、恐らくこれらは全て最終的に足し算と引き算の理屈に見做し得ると言える。
項羽のような強い人間も、最終的には老人に道を騙されて時間を失い、とどめを刺された。人々に応援されないこと、むしろ嫌われたことはまるで毒のように徐々に項羽の外堀を埋めていき、肝心なところで一気にとどめを刺したのである。かと思えば劉邦は人々に応援に応援されて時流に乗り、とうとう皇帝にまでなってしまう。
ではその細部は一体何であるかというのは、究極的には足し算と引き算の理屈に他ならないものだと思う。だからこそこの極端な結果の相違は決して馬鹿にはできないように思うのである。
この記事へのコメント