物の貸し借り





 「抜擢」ということについて思いを馳せてみる。



 韓信が劉邦のところで抜擢されなかったならば歴史は違っていたろうし、太公望が抜擢されなかったならば周は興っていなかったに違いない。蕭何や張良が一体何を見たのか、そもそも本当にそんなことが起こっていたのかは今となってはよくわからないし、所詮伝説でしかない。伝説でしかないが、間違いなくそれは起きたことなのだろう。
 この楚漢戦争の最中のこと、さらには秦が崩壊した後の事だし、まあどう考えても全く奇跡だとしか思えないようなことだが、韓信は抜擢された。そして大元帥になって楚を滅ぼすのである。そういう形の抜擢があったという話を古今東西他に聞いたためしがない。実際は似たような話はあるのだろうが、それも実績あっての話である。長平の戦いの前には、簾頗から趙括に「抜擢」された。そして40万人が降伏し、秦はそれを皆殺しにする。兵法の天才と噂された趙括の抜擢は、大失敗だったのである。

 


 これを踏まえて、今の時代に人を抜擢するという事は一体どういうことになるのだろう。それはよくわからないが少なくとも人が人を抜擢する。それは変わりがない。人が人を審査し、人のメガネに適う事態が起こって人は人を抜擢する。それが結果的に趙括になるか韓信になるかはわからない。それでも人を抜擢するのは人である。人が抜擢するのは人だし、抜擢される方も人。ふるいにかけられて、あるいはふるいにかけて、人は抜擢されることもあれば、落とされることもあるのだろう。



 抜擢にもある程度の根拠があり、信用がある。「秦では推挙されたものが罪を犯した場合、推挙したものが連座して罰せられた」そうだが抜擢は抜擢する側をさらけ出す要素もある。この秦の例は極端とはいえ、今でもその性質は大きく変わっているとは言えない。抜擢するにはそれだけ己のメンツを懸けている。そういう危うい一面がある。抜擢しときながら大失敗、では「オレの顔に泥を塗りやがった!」となりかねない。それだけのものを引き換えにするってのが抜擢なのだろう。



 しかしそれは別に特殊なケースだけとは言えないだろう。人と人は物の貸し借りをする。
例えば本を貸す。返ってこない。あるいは又貸しをする。ボロボロになって帰ってくる。中にはきれいなまま帰ってくることもあるだろう。それは些細なことかもしれないが、人と人の関係を、その関係性の未来を占ううえで重要な意味を持っていると言える。面白かった、と言って話が盛り上がれば貸した側も気持ちがいいし、きれいなまま返してきたらこれまた気持ちがいいに違いない。そうしたことが10年、20年、30年経って大きく意味を持ってくることもあるだろう。
 別にこれがじゃあ即ち抜擢かといえばそうではないのだが、しかし少なくとも又貸しどころか古本屋にうっぱらっちまった、お小遣い稼いだけどもう会わないから知らん、ではもはや抜擢どころではない。つまり、抜擢するしないの前に人と人の信用というやつがどうやら
あるらしい。「貸した本うっぱらわれたけど、でもあいつは剛毅なやつだ!」なんて話を私は聞いたことがない……(笑)
 


 抜擢云々からなんだかえらい離れちまったようだけど、人間関係何事も信用、些末なことから人間関係ってやつは成り立っていると思えるし信用無くして抜擢なし、それはともかくそれから先のことはようわからんなあと、中国の歴史をいろいろみながら考えてる夜の話である。


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