孫子を読んで その3 持っている力を発揮させるという話




 前回のつづきである。


 ④人の力というもの
 これは①ともかぶるような内容になるに違いないのだが、劉邦の下にいた武将はどんな人がいたか。


 樊噲(はんかい)は肉屋だったし、蕭何(しょうか)は下役人、曹参(そうしん)や夏候嬰(かこうえい)はその下で働く役人。
 そもそも劉邦は亭長(ていちょう、宿舎の長)上がりだった。そうした人間たちが不思議なことに天下を取ってしまう。そして劉邦は皇帝になるし、蕭何は宰相、他人物らも王侯などに任じられた者ばかりである。韓信や張良、陳平らの力も非常に大きいわけだが、ともかく彼らは成り行きでそうした地位に着くことになる。
 してみると、彼らは英雄だったろうか。彼らを輩出した沛県(はいけん)という場所は果たして英雄をそんなに輩出した土地だったろうか。
当時の王十七人のうち十人がここから出た王だった、すなわちたまたまその時英雄がここで沢山誕生していたのだろうか。その時代の英雄の素質を持った人間がたまたまここにたくさん誕生し、一致団結して天下を取った……
 わたしはそれは違うと思う。
 この事実が示しているのはそういうことではなく、一般的な人間も「そういう場所」、すなわち死地に置かれたら発奮して持てる以上の力を発揮する、それが彼らの持てる力を十二分に発揮したということではないだろうか。もちろん、蕭何が例えば咸陽で宝物に目をくれることもなく史料を全部運びださせたなどのことはあったろう。そういうものも含めて、団体としてうまく機能していたし個人としての素質や能力がうまく引き出されていたのではないかと思えるのである。


 これを踏まえると、「あーいい人材こないかな」「素晴らしい人材が来れば一気に興隆するに違いないのにな」というものは単なる願望に過ぎなくなると言える。
 勇者が来れば、賢者がいたならばもっと素晴らしい結果になったろうに。そうならないから良い結果とならないのだと嘆くばかり、周囲に当たるばかり。そうではない。人を死地に置き、能力を存分に引き出すことで一般兵も勇者となり、一般人も叡智を出すことができる。一生懸命考える。つまり上の者は嘆息し愚痴を言いムシのいい夢を見るのではない、今いる人材の持てる力を存分に発揮させる、育てる、勇者に育て上げる、一体どうすればそれが可能なのかという可能性を具体性を持って模索することも大切なのだという事である。




 沛県からたくさんの王侯諸将が輩出された、ああ沛県は英雄だらけでラッキーだ羨ましいではない。兵法というものは人の持てる可能性をいかにして引き出すか、それはいかにして可能かを具体的に引き出す方向性と作業だとも言える。「死地に生あり」というのはそうでもして持てる力と可能性を存分に引き出そうという方向性、それを具体性を持って検証することこそが兵法ではないか。そしてそうして作られた組織というものがいかに強靭なものであるかをこの事実は示していると思われる。




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