タクティクスオウガ⑤作戦立案 セリエの場合

 ヴァレリア解放戦線とリーダーであるセリエと、ウォルスタ解放軍のリーダーロンウェー公爵、ヴァイスの三者の作戦立案能力を比較したい。
 ひとまずセリエから。

 セリエ
 ・パレード襲撃事件
 この物語でセリエが一番最初に計画したのはパレード襲撃事件である。バクラム=ヴァレリア国建国二年の祭典であるパレードが王都で開かれることになった。そこでセリエは襲撃計画を立てる。君主であるブランタ司祭、もしくは暗黒騎士団ロスローリアン、あるいはその両方を襲撃す
るようにしたというわけである。
 結果として、市民が5人死亡し21人が重軽傷、ブランタも暗黒騎士団も無傷だった。この時点で既に完全に失敗であり、作戦立案能力に懐疑的なものがあるのがわかる。それだけの被害を相手に与える計画の現実味、具体味に欠けている。しかしそれだけではない。後日テロ実行犯は捕まり、犯人は「ヴァレリア解放戦線である」ということが人々に知れ渡る事態に陥る。ヴァレリア解放戦線の一人であるシスティーナにデニム一行が出会った時に、ヴァイスは「あの過激派か!」と言い、レオナールは「手段を選ばない連中」だと散々に言っている。それはこのパレード襲撃事件を念頭に置いて言っているのは想像に難くない。もっと別な事件を踏まえている可能性もなくはないが、プレイヤー視点ではそれ以上の情報を掴むことはこの時点では難しい。ともかく、
ヴァレリア解放戦線であるとシスティーナが名乗った時点で誰もが身構え、もうそれ以上話をする余地もないし、まして同盟や共同戦線、支援など夢のまた夢という状況がこの話の既に序盤の段階において実現してしまっているといえる。
 

 つまり、パレード襲撃事件は
 ①成功したらバクラム国や暗黒騎士団に大きな痛手を負わせられるかもしれない、そうなればうま味は大きいが、その現実味、具体味は非常に乏しい
 ②失敗したらそのマイナスは著しく大きい
という作戦だったことが見て取れる。そしてこのマイナスは非常に大きく、ストーリーの中盤まで長々と尾を引くことになる。誰もがヴァレリア解放戦線を敬遠し忌避するような事態に陥るのである。さらには、
 ③そうした目的のためなら手段を選ばないセリエのやり方に対し部下が次々と離反していく
という事態に陥り、組織は弱体化していくのである。


 ・古都ライムでの物資強奪作戦
 これはデニム一行がフィダック城へ行き、暗黒騎士団と非干渉条約を結ぼうとした時にたまたま出くわしたものである。システィーナがガルガスタン軍に包囲されており、デニムはたまたまそれを助ける流れとなった。
 しかしこの作戦も失敗している。「奪いに来たのですが、あのザマです」とシスティーナは自嘲気味に言っている。何がどういう流れになって失敗したのかは具体的にはっきりとしてはいないが、セリエの計画に難があったように考えるのは、上記の流れから考えると決して難しくはない。詳細を聞くまでもなく、どうもセリエの計画には難がある、もしくは具体的な要素が大きく欠落しているように思われる。


 ・何らかの計画
 これはロンウェー暗殺計画の一環としてだろうが、フォルカスら一行はクァドリガ砦の方面へ派遣される。ところが「海賊に仲間がさらわれる」ことになってしまい、船も奪われてしまう。一人一人の実力はともかく、海で海賊と戦うというのはどうも非常に分が悪かった模様である。バイアンも危ういところだったし、システィーナに至っては「二度も助けられる」ような事態になってしまう。この話も詳細は語られることはないのだが、計画の細部があやふや、あるいは不測の事態、万が一の事態がどうも考慮されてなかったのではないかと思われる。システィーナは予測ができていたかのようにフォルカスに言う。「やはり作戦は失敗だったのね。多くの仲間を失っただけだったのね」
 セリエの作戦計画自体にもそうだが、その具体的な形にもどうも仲間からの根強い不信感があるように見て取れる。それが何かはわからなくても、セリエが立てたのであれば計画立案に不備があるに違いない。うまくいかないに違いない。そう思わせる何かがどうもあるようである。

 ・プランシー神父の救出
 これはそれ自体が目的だったかどうかは定かではないが、この物語内で唯一成功した作戦が王都からのプランシー救出である。その詳細はやはり定かではないが、ランスロット=タルタロスにとっては「神父は用済み」だが、内容が外に漏れるとまずいと思わせるほどの効果と痛手があった。
 だがその結果暗黒騎士団によってボード砦とヴァレリア解放戦線は壊滅させられ、神父は連れ去られることになる。


 総括として、計画自体の良否はともかくそれを実現化させるための具体味と力に非常に乏しいようである。それは妹であるシスティーナに「セリエの計画だから、また失敗するだろう」と思わせるほどのものであり、とにかく結果が伴わない。その非力さを自ら悟っていたからかは定かではないが、過激な行動によって現実を計画に強引に近づけようとしていたきらいがある。それを実現化できるだけの力があればまた違ったかもしれない。
 計画を聞いたカチュアは「そんなにうまくいくかしら?」と懐疑的だったが、もしも計画を実現化できていればではあるが、現実的な縛りに囚われることなく最適な答えを見通す目はあったといえるのかも知れない。


 Lルートでは悲劇的な最期を迎えるが。
 目的のために手段を選ばない選択の連続をしてきた挙句に、自らが尊厳を奪われる、殺せと言う権利すら許されない末路を迎えるというのは、諸行無常、この世の因果応報を感じさせる。

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