戦国策24、呂不韋の「奇貨居くべし」の話

実に10日ぶりの記事ですが皆さんいかがお過ごしでしょうか。わたしは四足のわらじをはいて休みないので仕方なく一足こうして脱いで横着しております笑
さーて気が向いたから書こうかなと笑


 濮陽(ぼくよう)の人である呂不韋(りょふい)は趙の都である邯鄲(かんたん)に店を構えていたが、秦から人質として来ていた公子を見かけ、家に帰って父に言った。
「田地を耕作して得る利益は何倍でしょうか」
「十倍だ」
「では珠玉を商いして得る利益は?」
「百倍だ」
「一国の主君を守り立てて(もりたてて)得る利益は?」
「計り知れぬわ」
 そこで呂不韋は言った。
「今汗水垂らして野良仕事に精を出しても、暖衣飽食できるでもありません。それに引き換え国を建て主君を立てれば、余沢を子孫にまで残せます。そこで出かけて仕えようと思います。秦の公子が趙に人質となって来ております。キャク(「戹」
の字の「乙」を「夘」に代える)城にいるのです」



・「奇貨居くべし(きか おくべし)」のことわざの元になった話ですね。
奇貨は珍しいもののことで、珍しいものは手元に置いとけばいつかは値上がりするかもしれないから買って手元に置いておくべきだと。
そこから、得難い好機は決して逃さずにうまく利用しなくてはならないという意味になっていきます。


・この場合の奇貨とはなにか。
 秦の公子です。
 この人は秦の昭襄王の孫にあたる人だそうです。
 昭襄王の子が安国君(後の孝文王)だと。で、この人の寵愛されてる人が華陽夫人というらしいんですが、子どもがない。
 そこで趙にいる秦の公子をあんたの養子にしちゃいなさいよと呂不韋は薦めるわけです。子どもなしでは今後が危ういってことで養子にする、それを安国君も認めた。ここで名前を子楚(しそ)と改名しました。
 そうすると昭襄王は死ぬ、孝文王が王となる、ところがすぐ死ぬ。そうなるとこの子楚さんが荘襄王(そうじょうおう)として秦王となる。この人は始皇帝の父親にあたる人です。
 つまり、昭襄王→孝文王→荘襄王→始皇帝となる秦王政という流れですね。
 昭襄王が死んでから政が王になるまで4年ほどだというこの笑
 みんな死にすぎだし、まるで政を王にしたいかのようですよね。


20190325追記
 ・呂不韋はその秦の公子に目をかけていろいろ手を焼いてやって、その甲斐あって後々秦の要職に就くわけです。ナンバー1といいたいところですが、まあ始皇帝となる政の上にいたってのが不幸だった。目障りだからどっか行かされることになるわけです。追放されてしまう。
まあそれはともかくとして呂不韋の考えたこと、その通りに見事事態が推移していったこと、運もありますが、慧眼(けいがん)とでもいうべきでしょう。洞察力で言ったらいいのか先見性で言ったらいいのか迷うところですが、しかし決して運だけではなかった。単なるラッキーで事態を解釈したらミスります。






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