皆さんいかがお過ごしでしょうか。わたしは酒飲んでますが笑まあ仕事かなと割りきって今日も書きますよ。
何が仕事やねんですね笑
蘇代(そだい)は燕のために斉へ遊説に出掛けた。
斉王にまみえるより先に淳于髠(じゅんうこん)に説いていった。
「あるところに駿馬を売ろうとする者がおりました。
三日続けて毎朝市に立ちましたが、誰もそしらぬ顔です。そこで伯楽(はくらく)を訪ねていきました。
『私は駿馬を持っております。売ろうと思って三日続けて毎朝市に立ちましたが、誰も声をかけてくれません。
そこで、どうかあなたが私の馬の周りをぐるっと回って観察した上で立ち去り際に振り替えってくださるようお願い致します』
それならばと伯楽はぐるっと回りながらよく観察し、立ち去り際に振り返ったところがその馬の値は十倍になりました。
今私は駿馬として斉王にお目にかかりたいのですが、臣の手引きをしてくださる人がおりません。よろしければこの私の伯楽となってくださいませんか。
よろしければ馬の餌代として白璧を一双と黄金を十鎰(じゅういつ)とを献上させていただきますが」
淳于髠は「承りました」と言って宮中に入り、王に言上して蘇代を王にまみえさせた。
斉王は蘇代が大いに気に入った。
20191224追記
蘇代が斉王に会いたい、会いさえすれば後はどうにでもなると考えているわけですね。
淳于髠はそのためのダシでしかない。
ここでは馬を売ろうとするだの伯楽だのいろいろ書いてありますが、要するに賄賂を贈って斉王に会わせてくれればいいってわけです。
賄賂をそのまま受け取るのではいかにも悪代官みたいではないか、と角が立ちそうですが、このたとえ話があるがために悪代官ではないよ、あなたは伯楽だよと。この駿馬を斉王に引き合わせてほしいんですというわけです。
まあ明らかに「朝三暮四」ですよね。
いくら言いつくろっても賄賂を受け取ってるわけだし、賄賂のうまさをさらに引き立てるような蘇代の物言いはありますが、まあ賄賂を受け取るヤツにろくなやつがいたためしがありません。
(朝三暮四とは、サルたちに栃の実(トチの実)を与えるのを朝三つ、夕方に四つにしようと言ったらサルたちが怒り出したので、それならば朝四つ、夕方三つにしようと言ったら喜んだと言う話。合計七つであることは変わらないのに、自分たちの価値基準に合わない、正しくないとなると怒り立てると言う話)
曹操が張魯(ちょうろ)を滅ぼすときには賄賂作戦をして部下の楊松(ようしょう)を寝返らせていますし、呉王闔閭も越王勾践を滅ぼす手前までいったのに、賄賂作戦で命乞いをするよう勧められ、結局勾践を許しています。後に滅ぼされるわけですが。まあ当時も買収作戦は非常に有効だという例ですよね。
賄賂を贈られて、それに沿って献策をした臣下をその後も重用し続けた国で滅亡しなかった国がない、というのは重要なことだと思います。
またそうした臣下の末路は悲惨です。
賄賂で国と主君を売って寝返ったのだから、自分の下でも当然同様な理由で裏切るはずだとなると。
いろいろ交渉するにあたって決め手となる人物として、不思議とそうした人物に白羽の矢が立つというのはおもしろいところですが。
http://edo.ioc.u-tokyo.ac.jp/edo2/edo.cgi/_kxXe7O3CS9-D-_MNk4eIjw.html
こちらに蘇秦と蘇代についての話が上がってましたので参考までに。
蘇秦は張儀と共に当時の代表的な縦横家(じゅうおうか、しょうおうか)として知られていますが、蘇代はその弟らしいということですが、どちらも「蘇子」としてまとめられてごっちゃにされていた節があるらしいので、一応蘇秦の可能性もあるよということらしいです、
この話から教訓を見出すとしたら、蘇代という男はそういう「攻略法」みたいなのを当時としてよく見出しているなと。
王を狙う前にはまず淳于髠、淳于髠を落とすにはワイロ。それが良く分かっている。
そしてワイロを贈るのですが、ただ贈るにしても強引にやったらいかにも強欲見たく見えてしまう。
伯楽の話を持ち出して言葉巧みにワイロを受け取らせ、最終的な目的である王との会話を実現させてしまう。
攻略法としての手順、やり方も非常に洗練されていていやらしさがない。
こういうところは現代としても学ぶべきものが非常に多いように思いますね。
にほんブログ村
この記事へのコメント